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ライ太一周忌よもやま話

どうも、がーすーです。

体調を崩してしまい、お盆休みを家でぼーっと過ごしている最中にライ太の命日が来ました。その時の思いを有り体に言えば「もう1年経ったのかぁ、早いなあ…」でしたが、せっかくなのでもう少し深く、そして雑多に掘り返してライ太関連の話をしておこうと思います。

ライ太は(みんなの)心のなかで生きている

命日は飾り棚に置いているライ太の骨壺をダイニングテーブルに連れてきて、ぼーっと向き合って過ごしました。

椅子に座ってライ太越しに家の中を眺めてみると、「この家はライ太とひもまるのために色々相談して作ってもらったんだった」と改めて思い出して、実際この家に住めていたら…と想像してしんみり、というか号泣してました。

いい場所を見つけて落ち着いているところをひもまるに追い出されて別の場所に行ったり、別の場所で仕方なしに丸くなっているところをひもまるに乗っかられて結局一緒の場所で寝ていたり、いろいろ楽しいシーンがあったんだろうなぁなんて。

そして、家の設計をお願いした建築士さん達が自分達の想いを汲み取って細かなところまで意識して作ってくれていたんだと実感できて、「あの人達の中にもライ太は存在していたんだなあ」と勝手に幸せな気分になりました。

命日の晩ごはん

まだ元気いっぱいだった時、うかつにもケンタッキーを放置していたところをライ太に食い荒らされて家が大変になったことがありました。
そんな思い出がぼんやりしている時に浮かんできたので命日の夜は一緒にケンタッキーを食べることにしました。体調が良くないのを押して食べたので、寝る前に少しお腹が痛くなりましたがとても美味しかったです。

ライ太は人間が食べるものに興味を持つことがよくありましたが、「人間用のものだから」と我慢させていましたし、ねこごはんについても「総合栄養食でないから」と好きなもの(気に入ったものはだいたいオヤツっぽいやつ)を自由に食べさせたりはしていませんでした。

そんなライ太も今は好きなものを食べたい時に好きなだけ食べているんだろうか。と考えるとバクバク食べる姿が頭に浮かんで「無敵だなあ!」と笑えたり、それでもやっぱり一緒にご飯を食べたいよと悲しくなったりしました。

娘とライ太とひもまると

2歳になる娘ともライ太の話をしました。亡くなった時はまだ1歳ちょっとだったので、どれだけライ太のことを覚えているかわからないけど、産まれる前から奥さんの大きなお腹に自分のおしりを乗せ胎動を通して成長を感じていた(だろう)ライ太先輩の話は毎年したいなと思っています。

そんな話の流れから娘に「ライちゃんはどこ?」と聞かれたので「死んじゃって上の方にいるんだよ」と曖昧(てきとう)に答えましたが「ライちゃんは上にいるの?」と聞き直されたことで、なんとなくどこか上の方で元気に過ごしていて、たまに下(我々家族)を見てくれているのかなぁと思えて嬉し異気持ちになりました。

ひもまるはライ太がいなくなったことをどう捉えているのかはわかりませんが、ダイニングテーブルに置いた骨壺には結構絡んでいました。やっぱりさみしいのかなあ。

そんな姿を見ていると「お友達増やした方がいいかも」という気分になりますが、自分達が新たなお友達にライちゃんの影を重ねてしまわないか、と以前の記事でも書いたような悩みをまだ抱えています。

リアクションが薄くて寂しそうな?ひもまる

ばらばらと書いてみましたが、少し気分が軽くなったのはライ太の生きた証のようなものを残せたという満足感があるからなのでしょうか。

読んでいただいたみなさま、ありがとうございました。

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