ライちゃんのいない日々がもう4ヶ月も経ってしまう
どうも、がーすーです。
気がつけば12月に入ってしまい、「あっという間に12月だ」「1年って早いねえ」なんて会話が色々な場所で聞こえてきます。
毎月書いていきたいと思っていたライちゃんのお話もすっかり間が空いてしまいました。気づいた時にちょこちょことメモしていたのでとりあえず吐き出していくことにします。
ライ太の生きていた証を見つけるのは嬉しくて寂しい
今の住まいには2023年の2月から住んでいます。そこからライちゃんがいなくなってしまうまでは半年くらいだったにも関わらず、随所に記憶のカケラみたいなものが残っていて、ライちゃんとの思い出がフラッシュバックしてきます。例えば、ふと部屋の壁を触ると50-60cm位の高さがとてもケバケバしていて「よく爪とぎしていたな、ここで」と思ったり、階段を登りきったところからこっちを見ていたなとか姿が頭に浮かんだり…
ひもまるしかいないことに少し慣れている(ライ太が一緒にいたときにどんな感じで過ごしていたのか記憶がぼんやりしてきている)ことに寂しいような仕方がないような不思議な感覚でいるなかで、たしかに一緒に過ごしていた証を見つけられるのは嬉しい。でも証はこれ以上増えないからやっぱり寂しい。
こんな気持ちの動きも、自分の記憶力を考えると忘れていってしまう気がするので薄れないうちに残しておかなければ…と思い可能な限り書き続けていきたいです。
娘とライちゃんの関わりをもっともっともっと見たかった
現在1歳9ヶ月の娘は毎日毎日成長していて、最近はひもまるによく話しかけています。なでなでしたり絵本を読み聞かせようとしたり。これらを見るのはとても幸せな気分になります。
でも同時に「ライちゃんが元気だったら、どんな絡み方するのかなぁ」と考えてしまいます。そのくらい関わりが見たかったんでしょうね、産まれる前から奥さんの大きなお腹にお尻をくっつけて座っていたし。そんなライちゃんと娘が少なくともあと10年以上は仲良く一緒に過ごしているイメージを持っていたんだと思うと微笑ましい光景なのに涙が出てきたりします。
最期に診てくれた動物病院へご挨拶
ひもまるのワクチンを打つタイミングでライちゃんのその後(病院から帰ってすぐ亡くなったことやちゃんとお葬式できたことなど)の報告と感謝を伝えるためにお土産を持ってお世話になった動物病院へ行きました。
診療時間内なのであまり時間が取れませんでしたが、それでも「ありがとうございました」と言えたことは自分の心の中の引っ掛かりが一つ取れたように感じて気持ちが少し軽くなりました。ひもまるに対して「きみはライちゃんの分も大きくなろうね」と声掛けしてくれたことが嬉しかったです。これからもお世話になります、いい病院が近くにあってよかった。
でも実は、病院から帰る途中「言いたいことを事前にちゃんとまとめて短い時間でも伝えられるようにすればよかったな」と思っていました。そして、その日の夕食時に奥さんに「あれ(あのくらいの会話)でよかったの?」とそんな思いを気づいていたようなことを言われて、安心感というか心に穏やかさが湧きました。奥さんも同じ様に悲しみや感謝を抱いているんだと改めて思えて、残った家族で一緒に寂しさを持ちながら前に進んでいける気がしました。動物病院の先生にはまた機会を見てちゃんと挨拶をしよう。
更に、ひもまるを病院に連れていくために短時間だけシッターさんを頼んで娘を見てもらっていましたが、病院から帰ってシッターさんに感謝の言葉を伝えた時に「ねこちゃん亡くなったんですね」と触れてくれました。遺骨を部屋に置いてあったからなんですけど、こんなタイミングで声掛けをしてくれたことにも心が温かくなりました。
その他、思ったこと
ひもまるがこれまでにも増してくっつき虫になってきている気が(勝手に)していて、家族を増やそうかと保護猫団体(ひもまるとライ太をお迎えさせてくれた団体)のイベントをチェックしたりしています。
今の家は仮住まい(現在家建設中)なので引っ越し後かな、でもそんなこと言っていたらまた後悔するのかな、と悩んだり、「ライ太の代わりではないんだぞ」と心構えができてからじゃないと引き取るのは無責任だよなとか考えたりする日々です。
自分の整理のためのnoteを読んでくれたみなさま、ありがとうございました。