見出し画像

【ブルーコメッツ②】20代が語るGS

前回の記事ではブルーコメッツの黎明期からレコードデビューを取り上げてきました。今回はいよいよ彼らの最盛期です。


第17回NHK紅白歌合戦

1966年12月31日に放送された紅白ではブルーコメッツが出場を果たしました。演奏した曲は勿論「青い瞳」です。
司会はペギー葉山さんです。ウルトラマンタロウでウルトラの母役をされていたのが印象に残っていますが、歌手として活躍されていた方になります。
また、同年にはクレージーキャッツも紅白初出場を果たしています。植木等のソロ出場はあったようですがグループとしてはこれが初です。そして紅組にはクレージーの妹分であるザピーナッツの姿も見えます。
審査員には浜美枝の名前もあります。アジア人初のボンドガールとして活躍されたことから審査員に抜擢されたようです。なんとなくクレージーキャッツにゆかりのある人が多い年にも思えますね。

ブルーコメッツとしても前年はザピーナッツのバックバンドとして出場したことはありますが、今回は自分たちのグループがメインとなっています。
実はYouTubeにこの時の青い瞳の演奏が残っています。とても貴重な映像ですのでよければ探して見つけてもらえればと思います。
なおこの年は紅組の勝利でした。

GS最大のヒット曲 ブルーシャトウ


1967年3月15日に発売されたブルーシャトウは瞬く間にヒットして、売り上げは150万枚を記録しました。結果的にGS最大のヒット曲となりました。

森と泉に囲まれて 静かに眠るブルーシャトウ
あなたは僕を待っている 暗くて寂しいブルーシャトウ
きっとあなたは赤いバラの バラの香りが苦しくて
涙をそっと 流すでしょう 

ブルーシャトウ1967/ジャッキー吉川とブルーコメッツ

元々は木の実ナナのために作られた曲でしたが、彼女が歌えないとなったためブルーコメッツが歌うこととなりました。

歌詞を見て気づくのは西洋を凄く意識しているということです。森と泉に囲まれた異国のお城が舞台となっており、郷愁を感じさせてくれます。しかしながら七五調の歌詞となっており、さらには四七抜き短音階を基調とした日本風のメロディが使われています。そのため日本人にとって馴染みやすくなったことがこの楽曲のヒットの要因といえるでしょう。
ただ、近年はブルーシャトウを歌謡曲っぽい側面を強調して解説されることが多いように感じますが私的には凄くカッコよい曲だと思います。純歌謡曲というだけではヒットしなかったでしょうし、逆に純粋すぎるロックでも日本人の感性に合わずここまでヒットしなかったと思います。抜群の感性を持つ井上忠夫だからこそ作れた和洋折衷の名曲だと思います。

コラム:替え歌

森とんかつ~泉にんにく~か~こんにゃく~まれてんぷら~
静かにんにく~ねむルンペン~ボロボロ~ボロシャツ~
という替え歌が当時大流行したそうです。ですが誰が作ったかは分からないようです。ブルーコメッツ公式サイトによると「ちびっこのど自慢」でこの替え歌を披露したことから全国的に広まったのではないかという見解です。

ちなみにちびまる子ちゃんの原作でも歌われています。

悲劇の始まり?ブルーシャトウのヒット

でも実は(『ブルー・シャトウ』を作ったことは)ジレンマでね。目標としてきた洋楽とは正反対のものを作っちゃったんだから。他のGSがそのまねをさせられ始めたのもつらかった。あの曲からGSの悲劇は始まったと思う

『芸能史を歩く』「昭和42年12月・GSブーム 遠かったロックへの道のり」 朝日新聞1987年4月4日付け 夕刊

後年井上忠夫はこのように語っています。たしかにこの曲の登場を境にGSは歌謡曲化へと傾倒していってしまいます。純粋なロックをしたかった少年たち(特にゴールデンカップス)にとっては悲劇ともいえるでしょうが、これはGSが辿らざるを得ない”必然の出来事”だったと思うのです。
そもそもが職業作家がいて、レコード会社のしがらみがあって…というのがあるので歌謡曲フィルターがかかってしまうと思うのです。ですからブルーシャトウのヒットが悲劇だったのではなく、”音楽業界のいびつさ”こそが悲劇の始まりであったのだと私は思います。
※音楽業界のいびつさがあったからこそGSが生まれ、GSが死んだと思うのです。ここがGSの魅力の一つではないかと思います。


ブルーコメッツ、映画に出る


クレージー黄金作戦1967

グループサウンズ全盛期にはGS映画というジャンルの映画がたくさん作られました。ザタイガースは3本も作ってますし、テンプターズも主演で一本作っています。(彼らの映画はまた別の記事で)

1967年4月29日に「クレージー黄金作戦」という映画が公開されました。タイトルから見ても分かる通りクレージーキャッツ主演の作品になります。私も実際に本編を見ましたが、コメディ映画として今見ても非常に面白かったです。この映画の面白いところは一攫千金を狙ってラスベガスへ行くというスケールの大きさですね。1967年当時にラスベガスの大通りを貸し切って「ハローラスベガス!」とクレージーの7人が踊るのがなんとも愉快です。

さて、ブルーコメッツの出演シーンはザピーナッツの「ウナセラディ東京」を歌うシーンでちょろっと登場します。このシーンにはザピーナッツ、ブルーコメッツ、クレージーキャッツ、そして初代ジャニーズが登場します。かなり豪華なメンバーですよね!
シーンとしての完成度も高く演奏はブルーコメッツらしさが出ていました。また初代ジャニーズにとっても貴重な映像シーンになるのではないかと思いますね。歌って踊れるアイドルグループという軸はこの頃からしっかりしていたようです。
ちなみにこのシーンは国内のスタジオ撮影と思われるので、残念ながらラスベガスには行ってないようです(笑)

歌姫、GSを歌う

美空ひばりといえばだれもが知っている歌姫です。圧倒的な歌唱力は他を寄せ付けず、一流のスターとの交流もありました。例を挙げると王貞治、北島三郎、三島由紀夫、石原裕次郎…。目がくらむような超大スター達です。
その生涯を語るとあまりにも長くなりすぎてしまうので概略はこのくらいにしておきましょう。


さて、ブルーシャトウの大ヒットを経てブルーコメッツは歌うグループとしても日本のトップに立ったと言えますが、ここで再び原点回帰のバックバンドです。
元々は美空ひばり芸能生活20周年アルバムに収録される一曲の予定でしたが、評判が良かったことからシングルでも発売されることとなりました。結果的に140万枚を売り上げ、美空ひばりの歴代シングルでも第四位を記録しています。後年こそ演歌のイメージが強いですがポップスをはじめジャンル問わず歌えるのが美空ひばりの強みでしょうし、流行を臆せず取り入れ自分流に歌いこなすのも流石歌姫といったところでしょう。

収録当時のエピソードですが、なんと三原綱木さんが美空ひばりのことを知らず「あのおばさん誰?」と言ってしまったそうです…。当時22歳の綱木さんは恐いもの知らずというかなんというか…(笑)
ひばりさんが現場に到着するとレッドカーペットが敷かれ、社長から何から全員お出迎えだそう。
音合わせのための練習を一回すればもうそれで十分で、レコーディングは一発撮りで終わったそうです。ひばりさんの実力の高さがうかがえますね。余談ですが美空ひばりは専属のオーケストラを持っていたそうで、演奏を任されたブルーコメッツの凄さも改めて思い知らされます。

コラム:真っ赤な太陽とブルーシャトウのヒットが意味するもの

近田春夫さんの書かれたグループサウンズという書籍では真っ赤な太陽とブルーシャトウの大ヒットが

”GSの歌謡曲への急速な接近”を象徴しているよね。つまり、洋楽的な意味でのバンドサウンドの追求というコンセプトは希薄化して、シレッと方向転換しちゃったんだよ。

近田春夫/グループサウンズ(2023)

というように分析している。たしかにロックの追求というのがブルーコメッツの後の楽曲を見ても失われつつあるように思える。

全盛期のヒット曲

マリアの泉


1967年6月25日に発売されたのがこのマリアの泉です。ブルーシャトウよりも好きな人がいるというくらいに人気があります。失恋をテーマにしており、ブルーコメッツの定型をはずさない作りとなっています。
B面は白い恋人で小田啓義さん作曲のバラード曲となっています。
同名のお菓子が北海道の名物になっていますがあちらは1976年発売開始なので関係はなさそうです。

北国の二人


北海道をイメージして書き上げられたのがこの北国の二人です。1967年9月15日発売になります。
個人的にはブルーコメッツの最高傑作だと思っています。「雲が流れる~」という歌詞から始まるのですが一気に曲の世界に引き込まれます。そしてサビに入る直前のジャッキー吉川の力強いドラムはたまりません。曲の構成自体はすごくシンプルですが、2分34秒でブルーコメッツの世界観をよくここまで表現できるものだなと感心させられます。
余談ですが、この曲はオリコン幻の一位と言われています。というのは正式集計開始前の非公式チャートで一位を獲得したからですね。
B面の銀色の波も名曲で、波の音が冒頭で流れます。エレキの音と波の音というのは相性がいいみたいですね。作曲は三原綱木さんになります。
両A面といってもいいくらいの完成度です。

第18回紅白歌合戦

1967年12月31日には第18回紅白歌合戦が行われました。前年に引き続きブルーコメッツやクレージーは白組から出場を果たしています。
しかしながらブルーコメッツ以外のGSは出場していません。この背景には選考中の11月頃にザタイガースの熱狂的なファンによる問題行動や群衆事故が相次いで発生したことが問題視されたためだそうです。スパイダースも落選し、NHK向きの短髪グループであったブルーコメッツが前年に引き続き出場できたようです。あの熱狂的なGSブームの中でブルーコメッツしか参加できなかったというのが残念ですよね。

演奏した曲は勿論ブルーシャトウです。ですが残念ながらこの時の映像はどれだけ探しても見つかりませんでした。もし情報があれば教えていただけると幸いです!

全盛期から終焉へ…

こころの虹

1968年1月25日に発売されたのがこころの虹です。ムード歌謡路線の一曲となっていますが紅白パワーもあってかヒットしました。(オリコン15位)
B面はすみれ色の涙です。岩崎宏美が後にカバーしたことでヒットしました。岩崎宏美verの完成度はかなり高いですね。ブルコメverはしっかりとエレキやフルートを取り入れたブルコメ調ですが段々とGSから遠ざかっている気がします。

白鳥の歌

1968年4月25日には「白鳥の歌」が発売されました。B面は「雨の歩道」です。マリアの泉以来3作ぶりにオーケストラが使われています。こちらもオリコン15位と安定した人気を見せています。

草原の輝き

1968年6月30日には「草原の輝き」が発売されます。作詞橋本淳、作曲井上忠夫とここまではよくあるパターンですが、編曲が筒美京平となっています。
B面は「マイ・サマー・ガール」で両面とも明るい曲調となっており夏にふさわしい感じがします。こちらもオリコン15位です。

ブルーコメッツ、アメリカへ…そして脱GS

1968年のいつごろか分かりませんが(年始という話もあるがソースが見つからず…)、ブルーコメッツがアメリカの人気番組エドサリバンショーへ出演することになりました。
※wikipediaの脱GS宣言の記述から白鳥の歌とさよならのあとでの中間ではないかと思ったので本記事ではこの位置にしています。

日本からのお客様 ブルーコメッツが雅楽とブルーシャトーを歌います
-エドサリバン-

エドサリバンショー1968

井上忠夫の琴から始まり、英語でブルーシャトウを歌います。そして最後に日本語で歌います。現地でも好評だったようですが、英語の発音がよく聞き取れなかったといわれています。
ちなみにエドサリバンショーの帰りにはディズニーランドに行ったそうです。偶然高橋健二さんのページを見つけたのですがそこに書いていました。

井上忠夫はこのエドサリバンショーの出演がきっかけとなって、海外の音楽の奥深さに衝撃を受けてブルーコメッツの脱GS宣言を行うこととなります。
そもそも脱GS宣言とは何なのでしょうか?1968年に入ると後発バンドの追い上げが激しくなってきたため購買対象年齢を引き上げる作戦に出たということのようです。つまりムード歌謡化と言い換えてもよさそうですね。
なお、国内に戻ってから解散を発表するつもりだったという話もありますが周囲からの反対により断念することになったそうです。

さよならのあとで~雨の赤坂

1968年10月15日には「さよならのあとで」が発売されます。「脱GS
GS宣言」を行った後に発売されたシングル盤になります。
メインボーカルを三原綱木に据え、週間チャートでは3位と久々のヒットになりました。しかしながら完全なムード歌謡になってしまったためGS歌謡曲化の尖兵と捉えられる場合もあります。
たしかにロックではなくなりましたが、ブルコメサウンド自体は残っていると思います。ちなみに橋本淳×筒美京平という黄金コンビで作られているためか曲のクオリティはかなり高いです。
B面は高橋健二さん作曲の「小さな秘密」ですが、高橋さん本人が目立ちたがらない性格もあってか高橋さんのボーカルが小さいです(笑)

1968年12月25日には雨の赤坂が発売されました。作曲は三原綱木さんで「あかさか~あかさか~」とついつい口ずさんでしまいます。
B面の「黒いレースの女」はもう完全に歌謡曲です(笑)
さよならのあとでのヒットに続きたかったところですがオリコン20位と沈んでしまいました。

コラム:若手GSの躍動


ちなみに同時期にはオックスのスワン(オリコン7位)の涙やタイガースの青い鳥(オリコン4位)、テンプターズの純愛(オリコン8位)が発売されています。ブルーコメッツが段々下火になっていくのも分からなくはない感じですね。ちなみにスパイダースのガラスの聖女はオリコン50位とかなり下火に…。

第19回紅白歌合戦

1968年12月31日に第19回紅白歌合戦が行われました。白組の司会には坂本九さんがおられます。なお、今回はクレージーキャッツは選考落ちしてしまいましたがゲスト出演を果たしています。また、加山雄三さんも選考落ちしています。東宝映画の二大巨頭が選考落ちしていたというのは驚きですね。
そして相変わらずブルコメ以外のGSからの出演はありません。
紅組をみてみるとペギー葉山が久々に歌手として出演しています。そしてこの年大ヒットしたピンキーとキラーズの「恋の季節」、中村晃子の「虹色の湖」、黛ジュンの「天使の誘惑」といわゆる一人GSからの参戦が目立ちます。東京ブギウギで有名な越路吹雪さんはGSのザ・ラヴとの競作作品「イカルスの星」を歌いました。
白組からはデュークエイセスが「いい湯だな」で出場しています。ドリフが歌っていることで有名ですが、元歌はこちらです。坂本九の「世界の国からこんにちは」は万博のテーマソングです。1967年1月に毎日新聞上で発表され、三波春夫など色んな歌手による競作で各社からレコードが発売されて300万枚を超えるミリオンヒット曲となりました。

ブルーコメッツは草原の輝きを歌いましたが、個人的には青い瞳やブルーシャトウほどの力がある曲ではなかったかと…(素人が偉そうにすみません)。
そして第19回紅白歌合戦を最後にブルーコメッツはグループとして紅白の舞台に立つことはありませんでした。GSブームの終焉に少しずつ近づいている気もしますね。

おわりに

長々と読んでくださり誠にありがとうございます。なんと6500文字を突破してしまいました…(笑)
今回はキリがいいので1968年12月のところで終わりとします。ブルコメ③では1969年からブルコメ解散、そしてブルコメメンバーたちのその後について掘り下げていければと思います。
それでは次回の記事でお会いしましょう!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?