有害図書を追憶する(2000年当時)
有害図書、所謂「成年コミック」について書いた雑記がHDDに残っていました。ファイルのタイムスタンプは2000年5月28日。現在とは状況が異なっていると思いますが、当時の自分がどう考えていたのかを振り返ることができましたので、投稿します。事実誤認がありましたら、申し訳ありません。
有害図書というのは、各都道府県の青少年保護育成条例に基づいて指定される本の事です。この指定を受けると、十八歳未満の者に売ってはいけない、自動販売機で売ってはいけない、等といった制約がついてしまうのです。但し、指定は全国共通のものではなく自治体毎にバラバラなので、大阪府で有害図書に指定された本でも東京都ではお咎め無し、といった具合になります。
興味深いのは東京都の対応で、指定の際には事前に出版社や書店の代表が参加している自主規制団体に意見を求めたりする様で、なかなか良心的な感じがします。実際、警視庁が規制の強化を申し入れても、東京都が之に応じないという不思議な状況もあったそうです。又、確か長野県には、青少年保護育成条例に類するものが存在しなかったと記憶しています。
有害図書の指定を受けた時点で、その本には上記の様な制限条項がついてしまいますが、それでも本そのものが闇に葬られてしまう訳ではありません。にも関わらず、雑誌等が突然廃刊の已む無きに追い込まれる事があるのは何故なのでしょう。之には、前述した自主規制団体が大きな影響力を持っている様に見受けられます。
自主規制団体では、「三ヶ月連続で有害図書指定を受けた」等といった独自の基準を設けており、之に引っ掛かってしまうと、本の流通を止めてしまう事もするそうです。流通を抑えられると、本を売るルートが遮断されるのですから、もう廃刊するしかないという訳です。
とても大雑把な説明ですが、この様にして、有害図書指定は全国津々浦々で繰り広げられています。という事は、本の全ページ中で性的描写が何パーセントあるのか、といった事を調べる担当の方もいらっしゃるのでしょうから、もう「御苦労様です」としか言い様がありませんが、それだけで片付ける訳にはいきません。
この有害図書指定制度の根本的な問題が、エロ本発売禁止法といった様なものが制定される事も無くスタートしたという点にあるからです。つまり、法治国家である日本に於て、特別な法律を作ったりしなくとも、特定のメディアの活動を規制出来る事が証明されたのです。もっとも、この有害図書指定推進派、簡単に言えばエロ漫画撲滅運動に賛同している皆さんの中には、中央立法化を目指している方もいらっしゃるといいますから、まるっきり法律無視という事ではないのですが。
今、何の不自由も無く成年コミックを手にしている方には想像がつかないかもしれません。しかし、テレビの報道番組やワイドショー、新聞等で「エロ漫画撲滅キャンペーン」が取り上げられていた頃には、書店という書店から成年コミックが一掃されていたのです。私の地元でも、一冊も置いていないのが普通でした。その見事さは忘れる事が出来ません。それまで普通に売られていたエロ漫画が「成年コミック」マークを付けて再び店頭に並ぶまでには、かなりの月日が流れねばなりませんでした。
ここまで大規模なキャンペーンが展開された土台として、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件、俗に云う宮﨑事件が発生し、その犯人像が世間を賑わしていた事実は見逃せません。犯人像が所謂オタクであった事から、事件の残虐性とも相俟って大騒動となり、日本中のお茶の間に報道された自室の映像には、足の踏み場も無い程に積み上げられたビデオテープやエロ漫画が映っていたのです。これには有無を言わさぬ影響力があったと認めざるを得ません。エロ漫画弾圧と並んで「ホラービデオ追放運動」が起こったのも、この事件が契機でした。
テキストはここで終わっていました。
「撲滅」や「弾圧」といった強い単語を用いているのは、今読むと気恥ずかしくもありますが、若気の至りという事で御容赦下さい。
お読みいただき、ありがとうございます。
GS
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