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手放した先に見えたもの

現在、在宅勤務という名の自主監禁に励んでおります九六です。色々とまだ環境が整いきってない状況下ではあるものの、通勤時間の1時間を考えるととても助かります。洋服を考える必要もなく、デビッドボウイのTシャツを着ていようが、ニルヴァーナのTシャツを着ていようが誰にも咎められることはありません。

ただ一つ問題点をあげるとすれば、当宅には椅子とデスクがありません。元々すぐに引っ越しをする予定だったので、大きな家具を買うことに抵抗があったのです。そんな中、無職のわたしはAppleの在宅オペレーターを始めようと思い、応募したことがあります。ここでうっかり受かってしまい「次はFace timeでの面接です」と連絡がきたその本文を見ると

用意するもの

・静かな環境

・人体工学に基づいた椅子

まぁ・・・Apple様がぁぁぁ!・・・と思いつつ椅子をAmazonで調べたわけですがこれが

「ほう、椅子で10万円…高っ!!!」

そうなんです。心の中で「いる?ほんとにこれ」と心の悪魔がささやきだしたのです。そしてわたしはその悪魔のささやきに負け、面接を辞退したのですが今この状況下で考えると

これは腰痛ですか。この腰痛は労災ですか。これは補償されますか。人は死にますか。教えてください。そう、椅子って大事。

これから在宅ワークする人も合間合間に運動する癖をつけましょうね☆

さてそんなわたしが少し前にコンビニに行った時のお話です。

緊急事態宣言が出され、ひたすら家にこもる毎日、そんな中でも最低限の食料を調達にコンビニにテクテクと昼間向かいました。

平日の昼間に家の近所を歩くことがないため、なかなかじっくり見たことはありませんが、車は走り、飲食店は開店、保育園の子供たちは手をつなぎ、お散歩中。本当にニュースでやっているような緊迫感のある状況なのか、正直疑問に思ったくらいです。

ちなみにわたしは布マスクを使用しています。3月上旬には手持ちの使い捨てマスクがなくなりかけ、もちろんお店では売っていない。ただわたしは「自分がすでに罹患していると思うべき」という考えだったので、自分の飛沫を飛ばさない最低限の選択により、布マスクを作成することにしたのです。

手縫い、直線縫いのみ!

とはいうものの、いちいちお店やサイトでマスクを探すのもめんどくさかったんですね。

なので出勤しているころから布マスク(派手)を使っていたので、マスクに関しては困ってもいませんし、むしろ「マスクかわいいですね」等ほめられることが多く、それがお世辞だとしても調子乗ってました。

それでもマスクを求めて行列を作る人を眺めたり、たくさんのお店の人たちが疲弊しているというニュースを読むたびに

なぜ人は作りもせず、購入しようと必死になるのだろう」

と不思議でした。なので政府が布マスクを配布するというのは

**「すばらしい!これで並ぶ人が減る!!」 **

と単純に思ったわけです。だがネットは批判の嵐。有名人までこぞって批判。あれあれーおかしいな…ということで整理しましょう。

布マスクを配るなら医療用マスクを作れ

→作っています。医療用マスクは特殊なので作れる工場が限られています。ですので医療マスクほどではないがマスクが必要な福祉施設などに不織布マスクを回していくために、一般の人に布マスクを配るのです。

郵便局がもうかるんでしょ。人件費など無駄

→世帯に配るのは郵便局のタウンプラスを使用すると思われます。これは宛名や住所の記入など一切いりません。追加分はおそらく封筒など利用するかもしれませんが、世帯に配布ということを考えると一番効率的です。

400億円も税金を使うなんて無駄。その分を給付に回すべき!

→現在の日本の世帯数は5600万世帯です。つまり1世帯あたりでいうと700円程度です。財政を投入する目的にもよりますが、これはあくまでも感染拡大を予防するという観念だと思います。感染拡大予防のために700円だけもらって嬉しいですか。今現状、700円あっても感染拡大予防にはつながりません。

**マスクはネットで買える **

→ネットで買えるマスクはほぼ中国製です。中国の工場で作られています。なぜ日本の経済破綻が懸念されている中で、中国のものを買って輸入し、中国の経済を回さなければならないのでしょう。そのお金があるのであれば、日本製のものを買うことで日本経済を回すべきではないでしょうか。今配布されるマスクはすべて日本製です。

というわけで、代替案を出すこともなく高見から人を批判するという人間の本性があぶり出しになっている中で、いつものコンビニでいつものように買い物をし、PayPayで支払い、最低限のやり取りの中、レジを去ろうとした瞬間目に入ったものは・・・

**マスク!!!!! **

え?うそ・・・久しぶり・・・え?やだびっくりしちゃって・・・まさかこんなとこで・・・そっか、わたしが見なかっただけか・・・えっと、なんか変わらないね・・・変わんないかあはは。あ、わたしは、うん、何にも変わらないっていうか・・・うん、元気・・・

なんてもう大好きだった元カレとばったり出会ったような「まさかこんなところで出会うなんて」状態。

さてしばらくして我を取り戻したころ、考えました。わたしはこのマスクを買うべきか、わたしの中のドラフト会議が始まったのです。

だって不織布マスクがもう1枚しかないんだもん、予備は多い方いいんじゃん?多分こんな風に売れるってことはきっとまた入荷されるんだし。もしかしたらあっちのコンビニにも売ってるんじゃない?あっちのドラッグストアにも。売ってるんだから買っとけばいいじゃん。使って捨てるだけだから便利だよ?

・・・

カウ、ツカウ、ステル、オレカウ、マスクカウ

そうわたしは一つの感情にたどり着いたのです。それは

**「なくなる恐怖」 **

そう、いま必死でドラッグストアに並んでマスクを求めている人たちはただただ怖いのです。なくなったらどうしよう、どうしたらいいんだろう。売っているなら買えばいい、どんだけ並んでもいつか感染するかもしれない恐怖より今マスクがない恐怖の方が上なのです

彼らが買っているのはマスクではなく、安心感。わたしなりに感じていた不安の中で、そのマスクを見つけた時にはドーパミン(脳内の興奮物質)が出たのを感じました。

わたしはマスクを見つけて嬉しかったのです

もしわたしがそのマスクを買ってしまったら、誰かの迷惑になることも顧みず手に入ることを知ってしまったら、マスクを買うことで安心感を得てしまったら

わたしはその行動に依存してしまうでしょう。毎日のように店に通い、ついでに周りの店にもないか探し歩き、売っていたマスクを見つけてドーパミンを出し、無くなっていくマスクを見ては不安になり、またマスクを探す日々・・・

依存から抜け出すのは並大抵の努力じゃできなくて、それも脳内の興奮物質が伴う中で、それはきっともう布マスクだけじゃ救えない・・・。彼らはきっと布マスクが届いても並び続けるのでしょう、その行動に価値があると思い込んだままで。

このコロナウイルスが露呈させたのは、心の弱さではなく

人はいつでも心をむしばまれてしまうということ

そして、そんな自分を救えるのは自分しかいないということ。

わたしはそのマスクを買わずに店を出ました。どうか本当に必要な人、それが例え心のバランスを崩しているとしても、必要な人に届きますようにと。

わたしには手作りの布マスクがあります。実は姉も作ったマスク(やはり派手)を送ってくれました。わたしと違い、元縫製工場勤務経験者が作ったものは売り物と見間違うほど。それに加えて布マスクが2枚届くなんて…

わたしはとても恵まれています。布マスク1枚は寄付する予定です。1枚は張り切って使用します。

もしうちはいらないという人がいるならば、ホームレス支援のNGOや必要なところに寄付してください。マスクを買えずに落ちている不織布マスクを使っている人もいるそうです。必要で困っている人はたくさんいます。調べれば寄付先はいくらでもでてきます。否定する前にその先を見つめましょう。

大丈夫です

明けない夜はありません。いつか終わるんじゃないんです、わたしたちが終わらせるんです。この手で終わらせましょう。そしていつか一緒に昔話をしましょう。

「**そうね、あれは令和が始まったばかりの冬だったかしら・・・いろんなものが買えなくなってね・・・街には人がいなくなってしまって・・・だけど生まれ育った大切な国、日本をわたしたちが守ったのよ。信じられないでしょう」 **

なんて笑い話ができる日、そんな未来を楽しみにしていますね。

最後まで読んでいただきありがとうございます。まだまだ不慣れですがサポートいただけるように頑張っていきます❤︎