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「コハク」と「ピエロ」

小川洋子の『琥珀のまばたき』(2015年刊)を読了。昨夜はゴダールの『気狂いピエロ』(1965年作)を観た。
同列に並べることはできないけれど、どちらも異色の「超日常」を描いているという点では共通している。

『琥珀〜』は、温泉地の別荘の敷地内から出ることを母親に禁じられた三姉弟が、社会から切り離された雑音のない静かな世界で、優しく愛をはぐくみながら成長する物語。
三姉弟は本当の名前を捨て、鉱物の図鑑から取った名前でささやくように語り合う。家族愛と想像力に守られた彼らの世界には、静かで大らかな時間が流れている。学校に行かなくても知識を身につけることはできるし、社会と関わりをもたなくても充実した時間を過ごすこともできる。彼らの閉ざされた「超日常」の根底には、幼い娘を亡くした母親の悲しみがあり、社会と断絶して生きる静謐な暮らしには、つねに危うさがつきまとう。
家族だけの小さな世界に縮こまって暮らすことを一生続けることはできない。
近所の人に見つけられ、姉弟はばらばらになり、母親は自殺した。
「琥珀」という名前を持った少年は、歳を取り施設で暮らす老人になった。

彼の幸せについて考える。「琥珀」ことアンバー氏にとっての幸せは、平穏で何も起こらない日常と、辞典をめくりながら想像の翼を広げること。彼の人生は、わたしが想像するよりずっと幸せなのだろう。
隔絶された世界にも、社会の隅っこにも、静かに幸せに包まれて生きる人たちがいるということを、小川洋子の小説はいつも教えてくれる。

『気狂い〜』は、ヌーベルバーグの旗手といわれたフランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダールの初期作品。
何不自由ない暮らし(金持ちで美人の奥さんとかわいい子供。パーティ三昧の日々)に退屈を感じていた男が、アバンチュールを求めて昔の恋人と逃走、そして最後は裏切った恋人を銃で殺し、自らはダイナマイトを顔に巻き付けて自滅する話。
「超日常」のシーンを描いた強烈なコラージュを貼り合わせたような、ストーリーもあるようでないような映像の連続。切れ切れに挿入される絵画や詩的モノローグ、海と日射しと赤と青と殺人。「幸せ」と定義することもできる暮らしを捨てて、豪速で駆け抜けた主人公「ピエロ」の人生。
物語にはついていけなかったけど、心をつかまれてしまう理由は、フランスの香り漂うゴダール的「超日常」。たぶん。

幸せってなんだろう。
つかもうとすると逃げていくものなのかもしれない。
つかもうと意識しないほうが楽に生きられるよ。
「コハク」と「ピエロ」の人生が、わたしにそう語りかける。

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