MP48_おばあちゃんから学ぶ応援できる自分
今日の夜中、急遽幼少期からの夢に近づくことにチャレンジしてみた。
ここであえて私の幼少期の夢についてはかかないが、そのチャレンジを通して感じたことを書いてみる。
自分の心の声は誰も聞こえていない
夢をかなえている人をうらやましいと思うと同時に、その道のりが怖い。だから、行動に出ないことや、自分に言い訳をたくさんする。そんな状況を自分自身で俯瞰し、「本当はやりたくないことなのかな?」と定義して、その場をしのいできた。
こんな感じで解釈を日常的にしていることが多いと思う。
目の前のやらないことへの理由や言い訳をしているから、しなくていい。
その通りなのだけれども、そういう弱音を吐いている自分に寄り添って、怖がっている自分を知って、そこからどうしたらできるか?をまた自分が考えないといけないのかなとふと思った。
私以外の人は、その循環を簡単にできているのかもしれないが、私はあまのじゃくだ。応援してあげないと、あまのじゃくがすぐに出てくる。
自分は自分で1名なのだけれども、複数の役割をする表情は何枚持っていてもいいと思う。
心の中の声は自分にしか聞こえないから、どれだけ言い訳を言おうが、弱音を吐こうが、別にいい。
すぐにその言葉に対して、私さえも否定的に反応すると、結局見過ごされ、しのがれ、本当の気持ちが見えないようになってしまうかもしれない。
本当は、自分が背中を押せばできることを、他者からの反論や正論をもらうまえに、自分で唱えて防御している。
自分自身に対する親心。
言葉や行動なくとも、存在だけで背中を押せる存在
そんなことを繰り返すくせに、結局ことあるごとに夢に挑戦できる道を探してしまう。
そして同じことを繰り返している。
けれども、今日は違った。夜中に、そんなループの中、やってみている自分がいた。
それができた理由は何か?
いつもと違ったのは、おばあちゃんとお話したこと。
昔の写真を見せてもらい、おばあちゃんが私くらいの時の話、それよりも若い時の話とかいろいろ聞いた。
写真の中の、黒々したふさふさの髪の毛のおばあちゃん。
それを私の隣で一緒に見ている、白髪のおばあちゃん。
しわもあるけど、優しいまなざし。
白髪も1本1本が積み重ねてきた歴史を感じる。
そんなおばあちゃんとお話したから、おばあちゃんの積み重ねてきたこと、やりとげてきことの多さ、そのエネルギーをもらえたのかもしれない。
いつも応援してくれている、大切に思ってくれている気持ちが私の背中を押してくれたのかもしれない。
不思議といつも現れる夢への道を歩むときの、恐れる感情がなかった。
叶うかわからないけど、1歩いつもと違う足を踏み出せたことが気持ちがいい。
こういうことを自分でできるといいな。
道を見つけたら、これからも歩いてみるし、恐れてみる。
そして、背中を押してみる。
繰り返していくと私も気づいたら、白髪のおばあちゃんになって、孫の背中を押せるようになれるかもしれない。
夢を叶えることは簡単という人もいれば、難しいという人もいる。
偉大な経営者も、1000個の種のをまき、1~2個の芽が出るといいほうだという。
それを確立が低いととらえるのか、高いととらえるのか。
私は色んな種をまいて、自分の庭に花や雑草を増やしていきたい。
そんなことを感じた1日だった。