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受験勉強

 受験勉強は、ただの勉強とは異なり、成果を出さなくてはならない。だから苦痛なのだ。仕事もそうだ。仕事に関して勉強をしていっても、その成果を売上で残していかなければならない。そこが苦痛であり、仕事や勉強を面白くなくさせる要因の一つなのだ。

 受験勉強で大変なのは、ただ試験を受けるだ毛ではないところである。試験をして、試したいなら、解答できることが確認できればいいだろう、そう思うのであるが、なぜか時間制限を設けている。時間をかければ解けるにも関わらず、時間で篩にかけ、制限内に正解を出せないものは、消されてしまうのだ。これが厄介である。 

 つまり知っているだけではだめで、時間内に、いかに合格点に近づくかの戦略もまた必要になってくる。「速く解くスキル」「時間配分のスキル」「損切できるスキル」「優先順位のスキル」などのスキルが意外と重要になってくる。

 社会に入ると、強みを更に伸ばして突き抜けることで、弱みの部分を見えないくらいまで突き放すことでも、戦いの先頭に立てることはあるが、試験と言うのは、合格点の最高点が決まっているわけで、どれだけ突き抜けたスキルがあっても、100点以上を超えて、弱点を補うことが出来ないのである。

 つまり、弱点が強みくらいまで克服できなくても、平均点くらいまで上げるだけでも、合格圏内に入れる可能性が出てくるため、弱点科目を諦めずに克服しなければならないのも苦痛の一つである。

 私は英語が得意だった。日本史の偏差値は最初は低かったが、内容が面白かったため、徐々に平均以上の点数まで取れるようにはなってきた。問題は国語で、読書が好きだったのに、現代文が弱いと矛盾にも聞こえる致命的な弱点があった。日本人なのに日本語が苦手で英語が得意と言うことだ。国語も古文は得意だった。言い換えると、自分の生活で実際に使われていない言語が得意だったことになる。

「作者の意図を答えなさい」という問題がよく出るが、作者に聞いて下さい。受験生に聞かないで下さい。逆に出題者のあなたは、作者がどう思っていると思うのか、人に聞くなら、まずあなたから答えるのが礼儀ではないでしょうか?  と誰もが思うだろう。
 
受験に際し、志望校を決めなければならない。私は、とにかく早稲田に行きたかった。理由は特にない。早稲田がいいと思ったからだ。そう思っている矢先に、軽音楽部のギターの上手い先輩が、早稲田の法学部へ進学した。その事実が、ますます早稲田行きを羨望させた。

もう一つ理由がある。それは、父が、偏差値が少なくとも50代以下の大学を認めなかった。中央大学だけ認めていた。それは、自分が卒業した大学だからだ。大人は勝手なもので、自分が受験するわけでもないのに、まるで自分が受験するかのように、行き先を決めたがる生き物である。

模試の偏差値的に早稲田は合格圏内に勿論入っていない。私が建っている一と早稲田がある場所は、異世界だった。異次元に近い。その中で、どうすれば合格の確率が上がるのかを考えた。

それは、複数学部を受けてみるということだった。早稲田大学は、良問を出す学部と落とすために作られた問題を出題してくる難関学部があった。その中で比較的ストレートな出題をしてくる、教育学部、商学部、文学部を目指すことににした。

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