全巻捨てられた漫画
私たちが生きた時代は、電子書籍がない時代だったから、古本屋はそれなりにニーズがあったと思う。
子供の頃は、字が読めるようになって図書館に行くようになった後、今度は漫画に映っていく。
週刊発行の「少年ジャンプ」は小学校の昼休みに裏手の本屋さんに買いに行って読んでいた。
当時は、まだ毎月お小遣いをもらうのが通例で、毎月丘遣いを貰っては、漫画、本、文房具、プラモデルなどを買っていた。
漫画は新しいのを購入すると350~500円する。だから古本屋に行っては、全巻揃えたものだ。
何度も挫折した漫画エピソードは、気づくと全巻母に処分されていることだった。
忘れもしない、野球漫画の「タッチ」である。
タッチは、小学生時代に流行った、あだち充の野球漫画で、上杉兄弟と幼馴染の浅倉南との恋愛野球漫画だった。
「タッチ」の特徴は、「字が少ない」という所で、速攻読破感が半端ない。
本を読むのが早くはなかった私でも、すらすらと読める漫画で、映画も3部作上映されたくらい人気の高い漫画だった。
タッチは、最初は新書で購入していったのだが、全巻揃ったところで母が処分してしまう。
子供は、何でも出しっぱなしにしてしまうから、頭にきた母は、思い切って全て捨ててしまったのだと思う。
凄いのは、捨てた跡が分からなかったところ。
普通、あれだけの冊数を処分するなら、ビニール一杯のタッチを見つけられても良かったのだが、全く見当たらなかったので処分されていた事にも気が付かなかったくらいだ。
漫画はタッチだけではなかったので、日によって色々な漫画を読んでいた中、その日はタッチの気分。
ふと見ると見当たらない。
母に聞くと「処分した」という。
心の中では、「処分するなら全巻揃ってないのを選んでくれたらよかったのに」と静寂に包まれた抵抗を見せる。
母は家を綺麗に保っておく人なだけに、出しっぱなしになっているものは処分する傾向にある。
処分した理由は、出しっぱなしにンあっていることが理由なため、処分したことに関して反論すると100倍くらいの勢いで言い返されるため、自分を黙って押し殺していることが多かった。
自分は怒る時は何も言わないという行動をとる。言い返して、そうしなくても、処分されたものは戻ってこない。
そう考えると、怒るエネルギーは無駄である。
全巻失った喪失感から立ち直り、今度は古本屋で少しずつ買いそろえていこうと古本屋通いが始まります。
ブックオフのような中規模の古本屋は近所にはなく、全て超狭い個人店。そういう店しかい見たことがなかっただけに、ブックオフを見つけた時の感動は計り知れない。
「タッチ」を少しずつ再購入するようになるも、他の「ろくでなしブルース」や「ギャンブラー自己中心派」「花の慶次」のような漫画も少しずつ買いそろえていった。
毎回、1冊か2冊ずつ購入していった気がする。全26巻なので月に2冊ペースで購入していたとして、恐らく1~2年で全て買い揃えたのではないかと思う。
そしてある日、それ程散らかしていたわけでもないと記憶しているのだが、本棚から「タッチ」が綺麗に抜け落ちている。
以前の「全巻処分」の記憶が脳裏をかすめる。
「またやられた」という思いを感じながらも、「処分されていない」ことを祈るような気持ちもあった。
まさかと思いながら母に尋ねると
「全部、処分したよ。漫画が多過ぎるのよ」
やはり最悪の予感は的中した。
またやれちまった。よりにもよって、全巻揃っていない奴ばかりが殺処分を免れているのが悩ましい。
揃っていないシリーズなら、損切で諦めがつくというものだ。
しかし、「がっつり」と予算を投下したもの、しかも今回は中古物件で心の利益の利ザヤを多くとろうと思ったが、根こそぎ持っていかれた。
私が社会人に入って、ふとした時に思いっきり断捨離ができるのは、母のこの遺伝子を受け継いでいるからなのだろう。