説明会へ参加
早稲田大学の合格発表が全て終わる前に、私は次の進学先として留学を決めることになった。本来、留学など考えられない家庭環境だったが、父が役員に昇進し、家のローンを完済できたことで、財政的に余裕が生まれたのだ。
高校時代、母が急遽入院したとき、父は昼の弁当を毎日作ってくれた。これは、私の昼食代を現金で渡すことすらできないほど家計が逼迫していたからである。振り返ってみても、父が昇進するまで家計が安定した実感はなかった。
そんな父が、二浪するよりもアメリカ留学を勧めた理由は二つある。一つは、二浪しても試験の結果は未知数であり、合格する保証がないと考えたからだ。もう一つは、これからの時代、英語が話せなければ競争に埋もれてしまうと確信していたからである。
しかし、父がアメリカ留学の費用を具体的に試算していたとは思えない。当時はインターネットもなく、周囲に留学経験者もいない環境だったため、役員昇進に伴う一時的な退職金で賄えると考えていたのだろう。
情報が乏しい中、私たちは留学をサポートするエージェントの説明会に参加することにした。このエージェントは2024年現在も存在し、2023年の同窓会にも顔を出したばかりだ。
説明会当日、会場には多くの来場者がいて驚いた。留学が可能な家庭がこんなに多いのかと感じたものである。もちろん、実際に渡米しなければ年間の費用はわからないが、来場者の多くは自営業や重役の子供たちだろうと推察した。
説明会での話は非常に引き込まれるもので、話し方の巧みさに思わず信じ込んでしまった。説明を聞くほどに、渡米したいという気持ちが強まった。
説明会に応募すると、提携大学のパンフレットが送られてきたか、当日に見たのかは定かではない。また、説明会後に再度エージェントを訪れたかどうかも覚えていない。ただ、遠方から来る人々にとって、一度に多くの手続きを済ませた方が効率的だっただろうと思う。
記憶に残っているのは、「説明会で代表の話を聞く」「代表と家族で面談し入学先を決める」「選考試験として英文エッセイを書いて提出する」という一連の流れだ。これらを全て一日で終えたのかどうかは覚えていないが、その過程が私の将来を大きく変える一歩となったのは確かだ。