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社長との確執

第二のニューヨークを築いていくシーディングの過程において、上司とぶつかった私は、残念なことにそれ以来確執が生まれてしまった。

もっとうまいやり方もあったのかもしれないが、人の人生を生きるより、自分が信じるものを信じたかった。

 会社で働く以上、会社の意向を具現化するのが筋である事には間違いない。会社も筋を通す人を雇っているつもりのはずである。

しかし、自分が競合に追いつき出し抜くためには、今までのやり方ではだめだと思っていた。

会社が不正を指定それを正す正義ではないが、少なくともビジネスパートナーに、「初めて営業マンを見たよ」と言われたとしたら、先方はあなたの企業の優先順位は最下層にあると思っていいだろう。

 その状況を打破しなければ、自分たちの売上を遠隔で上げていくことなど到底無理なはずである。

歴代がやっていなかったことをやることだけでは、恐らく確執は生まれなかっただろうが、歴代がやってこなかったやり方に疑問を呈されて承認を得るも渋々了承を得た場合、明らかにその社員は「言うことを聞かない子供」に見えるに違いない。

しかも、その結果がいつ出るか分からないシーディングステージであればなおさらだろう。

 ニューヨークは、誰が見ても人口のパイが圧倒的に多いので、ここを1%伸ばせば、シーディングエリアの10倍よりも多くの売上が伸ばせるに違いない。

しかし、それは単純計算の話であって、1%が他の10倍成長に値する都市は、競合だって同じことを考える。

コストをかけた分だけ、競合もコストを掛けるだけの話で差をつけられることなどない。

 しかも、誰もが考えつくアイデアを負う時ほど、そこに投下する予算も本来かけなければならない金額を大幅に下回る。

 今回は、ニューヨーク、ペンシルバニア、ニュージャージーを除き、売上は自走式になっていなかったのだ。

その仕組みを自走式にするための投資だったのだが、駐在の任期も限られており、その任期内で結果を出すとなれば、自ずと将来の投資へは目が向かなくて当たり前だろう。

 また上司からすれば、前例のないことをやるからこそ、失敗の確率も高い。

失敗の責任が最終的には上司に来るわけなので、踏みとどめたい気持ちは十分に理解できるが、誰かがやらなければならないだろう。

それが私の思いだった。しかし、上司としては、私じゃなくてもいいだろう、今でなくともいいだろう、という思いだったに違いない。

 キャラバン営業を敢行して以来、私は自分の仕事の範囲がほぼなくなったと言ってよかった。ニューヨークから外に出ずらくなってしまったのだ。

私がキャラバンしている最中に、私がきっかけとなった諸々の行動範囲が規制されてしまったのである。

実質、羽をもがれた鳥のようになってしまったのだ。

 鳥が羽をもがれたら、ダチョウのように走る以外に方法はない。

しかし、走ってシカゴまではもういけない。

仕方なく、ニュージャージー、ニューヨーク、ペンシルバニアでの営業に実質的には制限されてしまった。

 今思うと、確執が生じた上司は、いい付き合い方をすれば、いい結果を必ず出せるような上司だったと確信している。

似たような考え方も持っていただけに非常に残念な終わり方をしてしまったと今では思える。

 仕事から離れて一般的な考え方を話せば、「許す」ことで全ての障害が撤去される。

「こうであるべき」論を通さない自分を許せないでいるから、確執や障害へと繋がるのだ。

「こうであるべき」を「こうであるのも手の一つ」と考えるようにして話し合いをすれば、相手も自分の考え方に対して、「それも一理あるね」と受け入れるようになるはずである。

 こちらが「許」さなければ、相手もこちらを「許」すわけがない。

私は、退職をもって、相手の考え方への自分なりの答えを出したのだが、共存する道を選んだ方が、双方にとって楽な人生を歩めたと思っている。

それは、後に私が霊視をしてもらう時に分かるのだが、確執を起こした上司と私は非常に似たエネルギーを持っていて、そのエネルギーを倍増できたはずなのだ。

 その上司も私の退職後に退職をすることになった。それはもともと本人も希望していたことではあったが、そのタイミングが早まったのかもしれない。

私もその上司との確執がなかったら、今でもアメリカにいたことだろう。帰国のタイミングを逃していたのは間違いない。

 そういう意味で、確執があった間は、精神的につらかったけれども、そのお陰で新たな道に踏み出せたし、コンフォートゾーンを抜けることが出来た。それだけでも十分な謝辞を伝えたい。

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