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戸建てからアパートへ

アメリカでの生活の中で、離婚後に初めて同居人がいない暮らしを経験することになった。

常に誰かと一緒に住んでいたため、アパート探しが初めてだったことに気づいた。

ただ、一人で何でも決められることの効率の良さや身軽さに新たな心地よさを見出してもいた。

誰かと一緒にいることは安心感がある反面、価値観の違いからくる感情的なぶつかり合いがストレスになることも事実で、その煩わしさから逃げたいがために一人を選ぶ人も多い。

しかし、自分の価値は、自分一人しかいない世界では上りも下がりもしない。

むしろ一人の世界に価値はいらない。価値は周りから評価される時の物差しでしかなく、その価値はその人の寿命にも大きく関わると言っても過言ではない。

必要とされれば長く生き、必要とされていなければ淘汰される。人は、求められない世界で自分を維持していくことは難しいのだ。

アパート探しはすぐに決まった。

恐らく5件も内覧していない。

どこの作りも似ていたが、日本と比較して格段に広い。

リノベーションも適当なところが多いが、それに拘ればどこにも入居できない。

何事も「どうでもいい」という距離感で関わっていくのが吉だ。

アパートはイースト・ラザフォードに決まった。

駐在の人であれば、まず選ばないような場所だ。

戸建て住宅街に立つ古びたアパートだが、古いが広い。

むしろ、モノを減らし過ぎて引っ越してきた後、殺風景に見えるくらいの広さだ。

ここでの生活は質素そのものだった。

ニュージャージーに単身で引っ越してきたニュー・ミルフォードも殺風景だったが、それに負けず劣らず殺風景だ。

寝るだけの部屋と言ってもいい。イースト・ラザフォードでの生活は、ビール営業の時で出張が多かったため、殺風景な家に帰ることも多くはなかった。

だから、「どうでもいい」という距離感でいるにはベストな場所だったと言える。

イースト・ラザフォードへの引っ越しは、いつも通り自前で行ったが、DC時代の友人にヘルプを依頼した。

まずは、古巣の戸建てから荷物を「ユーホール」というレンタルトラックに積める。

大きなものと言えば、テレビ、カウチ、箪笥、ダイニングテーブルと椅子くらいで、後はデスクトップPC、キッチン類、洋服などで「ユーホール」の中はスカスカに近い。

住んでいたリトル・フェリーからイースト・ラザフォードまでは車で約10~15分程度の距離。

荷物も少ないことから、涼しいうちに引っ越しを済ませようと朝早くから動いたが、結局一番暑い時間に引っ越しが完了した。 

引っ越し日に合わせて電気とガスの契約を予め済ませておいたが、引っ越しが完了してから電話、インターネット、ケーブルの契約を電話会社に依頼する。

これは毎回設置に来るため、依頼主が家にいる必要がある。その間、ネットは繋がらない。

これをもって引っ越しが完了した。場所を移動したことで新たな運気の流れに期待し、その場所には1年弱ほど住んだ。

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