カフェテリア
昼食や夕飯は、大学内のカフェテリアを利用する。バイキング形式で、好きなものをトレーに載せて、最後にお会計をするというアメリカの基本スタイルである。
ここでのカルチャーショックは、全て美味しそうではないということだ。令和の時代では、日本のレストランは、美味しくて安い世界である。牛丼など、500円もしないで食べられる。
日高屋の中華麺だってかなり安いし、王将の餃子も美味しいのに、非常に手頃な値段である。その料理と天秤にかけてしまうわけなので、全て大味で食べたいと思いにくい料理ばかりだった。
「マッシュポテト下さい」と言うと、食べきれないくらいの寮のマッシュポテトを「ドサッ」とトレーに乗せられる。
パスタは、麺とトマトソースが別れておいてあるのだが、パスタの一部がカラカラに乾いてしまっているものもある。一番、すんなりと食べられたのは、バーガーとサラダバーくらいのものだった。
サラダバーという業態を知ったのもこの時が初めてである。ドリンクバーも同じだ。
当時の日本では、お代わり自由なドリンクのサービスはそんざいしていなかったし、サラダ取り放題というサービスもあったかもしれないが、「ドリンクバー」や「サラダバー」という呼び名は、未だ民主化される前だった。サラダやコーラが大好きな私にとっては、この業態が自分に非常にあっていた。
ここに来た当初は、自分で盛り付けたにせよ、完食するには量が多く感じた食事も、不思議と慣れてきて、普通に完食できるようになってきた。
日本にいた頃に、「アメリカに行くと太るよ」と言っているのを何度か聞いたことがあったが、合点がいった。それくらいの量を食べていたような感じがした。