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日本という呪縛
あのままアメリカに残り、年収を上げたとしても、外資のたばこ会社からのオファー額には及ばなかっただろう。
かつてのように一つの会社でキャリアを積む道を選ぶなら、帰国という選択は正しかったと言える。
しかし、これは成功したからこその結論であり、帰国後にうまくいかなかった例も数多く存在する。
実際、私もそうした失敗談を多く耳にし、そのためにアメリカ滞在が17年にも及んだ。
アメリカに滞在する多くの日本人は、帰国後に日本でやっていける自信がないと感じているだろう。
私も同様だった。
だが結論として、皆がもっと自信を持っていいと思う。
個々の差は大したことはなく、スキル面では十分に自信を持つべきだ。
帰国直後は日本の常識から長く離れていたために適応に苦労するかもしれないが、いずれは追いつく。
日本の致命的な問題は、変化を拒む古い勢力にある。
それは人であり、文化であり、商習慣や生活習慣、「常識」とされるハイコンテクストな社会基盤にまで及ぶ。
これら全てが、海外経験者が日本で生きづらさを感じる要因となっている。
帰国後最も大変なのは、日本独自の考え方と文化に自分を適応させることだ。
現在、団塊の世代が次々と引退し、寿命を迎えている。
先日、父が亡くなったが、葬儀の日までに九日というブランクがあった。
遺体も傷むだろうと考えるのが普通だが、団塊の世代が寿命を迎えるラッシュのため、火葬場が空かないのだ。
それでもなお、昭和の企業文化は根強く残り、転職が一般化した日本でも、離職リスクを非常に気にしている。
離職リスクを気にする日本人と、一つの職場で同じ役職に長く留まることにリスクを感じる欧米では、人材に対する考え方が根本的に異なる。
日本では、長く勤めることで企業愛やブランド愛が強まり、それが企業の強みになると考えられている。
対して、欧米では、一つの職場に長くいること自体が強みではなく、異なる役割で成果を出し、リーダーシップとオーナーシップを発揮できる人材に価値があると考えられている。
日本で無暗にリーダーシップを発揮しようとすると、出る杭と思われる文化がまだ残っている。
そもそも「出る杭は打たれる」という言葉、日本特有の文化や社会的な考え方を反映した表現である。
日本の社会において、目立つ行動や他者と異なる行動をとる人は、しばしば批判されたり排除されたりする傾向がある。
この言葉は、そのような同調圧力や個性の抑制を示している。
この表現は、個人の才能や意見が尊重されにくい社会の一面を象徴している。
日本社会では、調和や協調を重視するため、集団の中で目立つ行動をとることが好まれないことが多い。
このため、革新的なアイデアや異なる視点を持つ人が十分に評価されにくいことがある。
欧米や諸外国で同様の概念や状況は欧米や他の国々でも存在する。ただし、その程度や形態は異なる。
欧米社会では、一般的に個人の自由や独自性が尊重される傾向が強い。
特にアメリカなどでは「個人主義」が重要視されており、独自のアイデアや革新を奨励する文化がある。
このため、「出る杭」が打たれるという状況は、日本に比べて少ないかもしれない。
しかし、それでも目立つ行動や意見が批判や抵抗に遭うことはある。
例えば、職場や学校などの組織では、既存の体制や慣習に挑戦する行動が歓迎されない場合もある。
特に、権威主義的な環境や保守的なコミュニティでは、目立つ行動が抑制されることがある。
一方、欧米でも「Tall Poppy Syndrome(背の高いケシ症候群)」という表現があり、これは他人よりも成功したり目立ったりする人が批判される現象を指している。
この概念は特にオーストラリアやニュージーランドで使われるが、他の英語圏でも通じることがある。
諸外国にも同様の概念が存在することがあるが、その表現や具体的な状況は文化によって異なる。
例えば、中国には「高い木には風が強く吹く」ということわざがあり、これも目立つことのリスクを示している。