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大学の合格発表

 最初の合格発表は、早稲田の試験日前に郵送で届いた。現役時と浪人時とで、合格発表を現地に見に行ったことはない。関西学院大の合格発表だった。睡魔に襲われ寝落ちをした試験だ。結果は、不合格。何一つ想定外はない。想定内だ。

 この発表が送られてきた日、現役時代に仲良くしていたサッカー部の友人のIから電話が入った。Iは、模試で校内ビリから二番目をとってしまったと、落ち込みながら私に報告をしてきてくれたことがあった。高校生活をサッカーに捧げ、受験勉強が遅れてしまっていたのだ。

 現役時代は、最初から浪人を決めていたIは、受験も1か2校くらいしか受けていない。最初から浪人で再起を図ると決めていたからだ。そんなIは、浪人時代は、千葉のどこかの予備校に通っており、都内に通う私とは会うことも殆どなかった。しかし、週末千葉の予備校の自習室を使っていた際に、たまに会うことがあった。

 「大学受かったよ」
という吉報だった。
「おっ、マジか! おめでとう。どこ受かったの?」
最早、他人の合格発表に興味を沸かせる気力もなかった。眠ってしまった関西学院の失態をあまりにも引きずり過ぎていたし、自分のメンタルが弱ったまま他人を気遣えるほどの強い人格は、当時まだ形成されてはいなった。

 電話を切った後、珍しく速い帰宅の父に、友人の合格の報告だった電話だったことを注げた。現役を通して一つも合格を勝ち取れないまま、崩壊した自分の人格に悪魔は降りてきた。思わず、
「Iも落ちればよかったのに」
そんな言葉が口から出ていた。その言葉を聞いた父は、
「何てことを言うんだ! 人の不幸を願うなんて、絶対しちゃだめだぞ! お前の結果は、残念だったけど、仕方がないだろ。精一杯やった上での結果なんだから後悔してもしょうがない。」
私は、瞬間的に目が覚めた思いがした。

 父は、今まで家庭を顧みず仕事一筋できた生粋の昭和人間だった。まるで家族には無関心であったように思えた父から聞いた意外な一言だった。何も関心がないように見えて、受験勉強に打ち込む私の姿は、しっかりと見ていたということだ。そのことに浪人の最後になって漸く気が付いた瞬間でもあった。

 思い返せば、都内の私立の高校受験の時、父は学校まで一緒についてきてくれたことを思い出した。あの時も、最初で最後の父の気遣いだと感じていた。父が亡くなったので、当時の思いを聞くことは叶わなくなったが、なぜ、あの時だけは、学校まで一緒に来てくれたのだろう。あれこそ、まさに不器用な父親の愛だったのだろう。

 父の一喝の後で、母も同情を見せて歩み寄ってきた。
「あなたは、バカだったのかね。誰が見ても、凄い勉強していたのにね。それでも全く歯が立たないんだから、本当に難しいのね。」
そんな温かい? 言葉をかけてくれた。

 下線部「あなたは、バカだったのかね」と声をかけた母親には、他にもっと優しい言葉がなかったのか、文中の中の言葉を使って100字で考察しなさい、という問題を母に投げかけたくなる言葉だった。これでも精一杯の慰めと承認であるのだが、言葉の選び方がシュール過ぎて傷つく。

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