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ニュージャージーでの家探し
話は前後するが、ニュージャージーへの配属が決まったその週の週末、私は職場のオフィス近くにアパートを探しに行った。
ネットで見繕ったいくつかの物件を見に行き、良い物件があればその場で契約を済ませるつもりだった。
ニュージャージーには駐在員が住む地区とそうでない地区がある。
私は駐在員が住まない安い地区にアパートを探した。
どれも築何十年も経っている古いアパートばかりだった。
周囲の戸建て住宅は大きく、裕福なアメリカ人が住んでいるように見えたが、アパートの作りはかなり古かった。
バージニアやメリーランドに住んでいた頃のアパートは多くが絨毯張りだったが、ニュージャージーではウッドフロアが一般的だった。
しかし、その木材も古く、隙間を無理矢理ニスで埋めたようなリノベーションが施されていた。
コンセントの穴もペンキで塗りつぶされ、使えなくなっているものもあった。
どのアパートも似たような状態だったため、ティーネックという町に居を構えることに決めた。
テレビ台がなかったのでブラウン管テレビは床に置き、自炊する際には引っ越しの時に使った段ボールをテーブル代わりにして床に座って食事をする生活を1年間続けた。
貧しく貧相な生活だったが、物欲がなく、一人の生活は孤独であっても誰にも邪魔されない空間があることはそれほど嫌ではなかった。
初出社の日がやってきた。
会社までは車で約15分と近い。
倉庫街に位置しており、非常にさびれた地域だった。
洗練されていないというのが正しい表現かもしれない。
そこにあるバーやレストランが生き残っているのは、近隣住民が唯一の店として利用しているからに過ぎないような雰囲気だった。
出社時間は8時と通常より1時間早かった。
ニューヨークへの配達がラッシュアワーにかかると混雑するため、出荷時間を早めているのだろう。
倉庫を持つ会社の出社時間はどこも早い。
以前のゲーム会社の出社時間は午前11時だったことを考えると、自分の生活習慣がかなり改善された。
夜も遅くまで起きられなくなり、朝早く起きる生活が定着していた。
DC支店では顧客数も多くなく、レストランやスーパーマーケットの担当が分かれていなかったが、ニューヨーク支店は巨大な支店だったため、レストラン部と小売り部が別れていた。私は日系の小売専属の部署に配属された。