黄色いランドセル
黄色いランドセル。
令和の時代では、様々な色のランドセルが存在し、男子は黒、女子は赤というような常識もなくなった世の中なので、変に思わないかもしれないが、私が小学生だった80年代は、ランドセルと言えば、男子が黒、女子が赤と決まっていた。
私立は、女子でも黒と言う学校はあったものの、公立小学校は、前述の通りだ。
私は、千葉で育ち、小学校に上がる年に、同じ千葉県内で引っ越しをした。
その前に住んでいた場所で、兄が通っていた小学校では、全校生徒、黄色の指定ランドセルを使用していた。
私は、幼いながらに、ランドセルは黄色だと思っていた。
引っ越したタイミングで、私は小学校入学を迎える。
勿論、ランドセルは兄のお古で黄色いランドセルを背負って入学式を迎えた。
入学式当日のことは覚えていない。
ただ、翌日から登校するたびに、クラスメートから「黄色いリュックを背負ってきている」とからかわれるようになる。
今でも、黄色いランドセルの話は、家族の間で笑い話のように話題となるが、ふと今思った。
私は、兄のお古として、黄色いランドセルを使ってからかわれる毎日を過ごしたが、兄は、黒いランドセルを背負っていたはずだ。
黄色いランドセルは、一つしかなかったから。
と言うことは、転校に際し、兄は黒いランドセルを買い与えられたと考えるのが妥当だ。
ランドセルは、6年間持たせなければならないカバンとは言え、少々コストがお高い。
今では、ランドセルは、祖父母が孫たちに入学のお祝いとして買い与えられる文化が浸透している。
当時、決して裕福な家庭ではなかった我が家で、転校に際し、ランドセルを二つも買う余裕はきっとなかったんだろうと今は思える。
しかし、当時は、兄が黒いランドセルで、弟の私は、基本的にお古を使うというのは、我が家だけのあるあるネタではなかったはずだ。
それにしたって、私は、毎日ことあるごとに、「何で、黄色いリュック何て背負ってきているんだよ」と心無いクラスメートにいびられたものである。
当時の担任の女性の先生は、非常にできた先生で、毎回私をかばい、いびる生徒を叱ってくれた。
話し方がボーイッシュな先生は、
「黄色いランドセルでもいいじゃないか。格好いいよ、それ」と絶対思っていないだろうことを言ってくれた。
私は、それ以来、「黄色いランドセル」「黄色」「リュックサック」という言葉を聞くだけで、私のことを噂している、馬鹿にしているという心的外傷的反射を示すようになった。
修学旅行や遠足で、明日は「リュックサックで来るように」という言葉にすら、「また、自分のことを言われている」と思えた出来事だった。
そんな出来事を連日経験するようになってから、家に泣いて帰る日があった。
どのタイミングで泣き始めたかは定かではないが、家に泣きながら帰ってきた私に、母は
「何かあったの?」と心配そうに尋ねてきた。
私は、嗚咽交じりに
「みんなが、黄色いリュックサック背負ってきてるって、馬鹿にするんだ」と答える。
嗚咽、話す、咳込む、嗚咽、嗚咽、話すの公武合体で、答えていたと思う。
母は、見かねて慰めてくれた。
当時、7歳にも満たない私には想像もつかなかったが、恐らく母の中で
「やっぱり、6年間、黄色のランドセルで行くのは難しかったか・・・高いしなあ、黒いの。やっぱ、買わなきゃだめかぁ」という声が頭をよぎっていたに違いない。
翌日、学校から帰宅すると、デスクの上に黒いランドセルがおいてあった。
私は、凄い喜んで黄色いランドセルに別れを告げたが、母の表情は、財布の中のような寒さ映し出していた。