論文の書き方
アメリカで学んで良かったことは、論文の書き方である。論文に限らず、論述する上での常識が、社会にでてアメリカ人に対してプレゼンをする際に非常に役に立つ。
まず、アメリカ人に対して自分の商品や考え方を売り込みたいなら、結論から書いていくことである。
日本人のアプローチは、起承転結で、結論が最後に来る。
アメリカでは、結論が最後に初めて顔を出すと、結論が来る前に話を聞いている人たちは興味を既に失っている。
ストーリー展開は、必要ではあるのだが、その伝え方が全く異なる。
アメリカの論述では、結論が最初に来て、結論の根拠や事例1、結論の根拠や事例2、結論が最後また出てくる。
根拠や事例の箇所も結論を違う表現で言い換えて出てくる。簡単に言うと、一番大事な結論は、何度も言い換えられながら伝えられることで、聞き手の頭の中に、何を伝えたいのかというのが嫌でも残る。
これが、アメリカの論述の仕方になる。
このクラスでは、学期に一度、大きな論文を書かされるが、それ以外は、とにかくエッセイを書かされ、その中で文法の手直しを繰り返す。
これの毎日だ。しかし、エッセイには、他の文献からの引用を用いることは少なく、殆どが自分の日常や感じたことをまとめるものである。
別の言い方をすると、英作文の繰り返しの授業と思っても構わない。
論文となると話は別で、論述するものの根拠を第三者の文献から引用を借りたりするわけだが、その出典を書かなければならない。
その書き方をまず習う。
それから、出典を載せないと、プレジャリズムという盗作の違反になり、最悪、一発で退学を食らうこともある。
論文を書いてくれるサイトがあるが、見つかれが速攻退学である。
当時は、20歳だったが、ここで習ったことが漸く実践できるようになったのは、最近の事である。
当時は、引用を言い換えることが下手なため、引用もしていないところに、引用の出典を書いてごまかしていた。
こういうこともあり、大学や大学院の勉強は、社会人と並行して行うのが最も効果的な学習だと思える。