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帰国手配と現地の片付け
一時帰国の際、結局内定をもらえずアメリカへ戻ることになった。
最終面接でタイミングが合わず見送りになったケースもあったが、それ以外の面接ではカルチャーフィットや人としてのマッチングが合わなかった。
二週間の有給は転職活動にはあっという間に過ぎ去る期間だった。
海外での営業経験がカウントされないという国内の状況も把握できたため、完全に帰国し、外資系だけを対象に腰を据えて転職活動をすることが私の答えだった。
アメリカに戻って三ヶ月後に帰国のフライトを予約した。
その日をもってアメリカから離脱する決意をした。
イースト・ラザフォードでの生活は七、八ヶ月しか経っていなかったが、残りの三ヶ月の間に家具や大きなものを処分するべく行動に出た。
アメリカに戻って偶然にも、戸建てに住む知り合いが地下室の間借り人を探していると聞いた。
私がその間借りを申し出ると、知人は「問題ない」と快諾してくれた。
すぐに引っ越しの準備を始め、この狭いスペースにはマットレスだけを運び入れ、カウチやダイニングテーブル、ベッドフレーム、箪笥、テレビなどの家具はすべて処分することにした。
知人の地下室への引っ越しは自分の車で運べる程度の荷物しか用意しなかった。
マットレスを無理矢理詰めて運んだ。
こうしてすべての荷物の処分と引っ越しが完了し、あとは三ヶ月後の帰国を待つのみ。
その間にも再就職先を探す活動は続けた。
非常にラッキーな案件として、外資系のたばこ会社からのオファーがあった。
これは、暫く日本では販売代理店を通じて販売していたブランドが、2013年に法人化したための雇用活動だった。
営業として即戦力として見てもらえないのは変わらなかったが、ビール営業時代の経験を活かし、マーケティングとして応募したところ、面接に呼ばれた。
一次面接は人事の方との電話面接であり、リクルーターから予め希望年収を伝えるように言われ、その金額は現行よりも遥かに高かったが、その通りに伝えた。
先方の人事は数秒の沈黙の後、驚いた反応を示したため、「高過ぎて引かれているのだろう」と腹を括った。
面接が終わり、リクルーターに結果を報告した。
直ぐにリクルーターから返信があり、先方に確認した後、電話しても大丈夫かという内容だった。
快諾すると三十分後にリクルーターから電話が掛かってきた。
「面接、大変お疲れ様でした。印象はいかがでしたか?」と聞かれ、「非常に良かったが、年収の所で多少の沈黙があり、トーンダウンしたのが気にかかる」と率直に伝えた。
リクルーターは続けて、「先方は驚いていたが、逆の意味で驚いていた。たばこ会社の年収は高いため、あなたの希望年収が安過ぎて驚いたのだ」と説明した。
この時、自分の給与水準の低さに気付かされた。
アメリカの平均所得よりも低い年収で働いていたが、それでも日本の平均年収くらいは貰っていた。
エージェントが上乗せした希望年収が外資のたばこ業界の低い水準よりも更に低いと知り、帰国の選択が正しかったと感じた。