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アメリカで初のバンド活動
大学で正規のクラスを取り始めた頃から、バンド活動を始めた。元々バンドを組むことを予定していたが、なかなか一歩を踏み出せなかった。自分の弱い部分で、話すことがままならないことから、先延ばしになってしまっていた。
大学時代に組んだバンドは、同期の日本人同士でのバンドだった。ほぼカバーバンドで、後半になってオリジナル曲を書くようになった。カバーしていた曲も日本のアーティストをカバーしていた。
同期で誰が楽器を弾くのかは分かっていた。その同期にバンドを始めようと提案したのだ。しかし、二人ともスタジオがないことと、メトロでアクセスできる場所にスタジオがあるのかを見つける手立てもなかった。
そこで、もう一人ドラムとベースをやる別の大学に行っている同期に相談をしてみた。すると、彼はジャズドラムのクラスを受講しているとのことで、大学のドラムスタジオにアクセスが可能だという情報を得た。彼はベースも持っていたので、私がドラムを担当し、ベースとギターように各々小型アンプを持ち込んでジャムろうということになった。
まずは、日本のアーティスト数曲を耳コピして、セッション当日までにそれぞれ個人練習をして、週末に一度、小さなドラム部屋を拝借して練習をすることになった。
そのドラムスタジオは、ドラムとドラム講師が座れるくらいのスペースしかない。一度は行ってしまったら身動きができないくらいの狭さだ。周りにも小型スタジオがいくつかあり、大きな音にはなりえない曲を練習していた。ここで練習する生徒は皆が個人練習でジャズなどのピアノやドラムをやるので、誰もバンドの練習をする奴が来るとは思っていない。そんな矢先に私たちが現れたのだ。
ここの場所を見つけてからは、週に1回、練習をしに来る。練習曲が纏まったら、1曲ずつ別の曲のカバーを追加していくというやり方をした。練習が終わると、近くのファミリーレストランで夕食を取り、帰宅する。
ただ楽しみで始めたバンドで、ボーカルもいないのでライブはできない。とは言え、この単純なルーティンは、実に楽しかった。3人ともに言いたいことを言いながら、誰に気を遣うでもなく、好きな事だけをして楽しんでいた。ここまでストレートに楽しんでいたことは、アメリカ生活の中でもそんなになかっただろう。
ジャズドラムクラスの練習スタジオを借りるメソッドには、致命的な穴があった。使いたければ「ジャズドラムのクラスを受講し続け」なければならなかった。しかし、取らない楽器もある。そうなればもう使うことが出来ない。また、日本のアーティストのカバーから、スラッシュメタルのカバーに変わってきた。すると、煩いと苦情が出るようになった。幸せな時は続かないものだ。晴れが続けば雨が降る。丁度雨の日がやってきたのだ。
私たちは、練習場所を失った。羽をもがれた鳥のようになった。飛べないならいっそのことダチョウのように生きてみようとも思った。しかし、やっぱりバンドで合わせるというのは、自分の精神安定剤であると改めて感じるようになる。