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文化祭軽音楽部
高校の文化祭の楽しみは、昼の部は軽音楽部のライブ以外に楽しみはなかった。どのクラスも出し物は「楽しむもの」を目的とするものが少なかった。
他校の文化祭では、中学時代に近くの公立高校の文化祭に足を運んだ。そこでは、セル画と呼ばれるものを依頼することが出来た。部活動で言うと、アニメ研究部とかそういうものかもしれない。アニメの絵を、OHPのフィルムに移して色まで塗ってくれて、ただで貰えるのだ。当時の私には新鮮で、この長蛇の列に並ぶのが好きだった。
次に見るのが楽しみだったのは、Nゲージとプラモデルのジオラマである。両方とも私がはまっていたのは小学生の時期であるが、あまりに子供過ぎて「ジオラマ」には挑戦したことがなかった。実際に見ると、見事としか言いようがない。Nゲージは、線路をバスのハンドルに見立てて遊び、バキバキに折れてしまった記憶しかない。
そしてお化け屋敷だ。この高校は、お化け屋敷で競う文化があるのか、お化け屋敷が複数ある。その教室の上には、失神指数の様のような数字が書かれてあり、何名が恐怖でNGになったかを示しており、怖さのレベルを集客に利用している。
毎年、このお化け屋敷に入ることが恒例になっている。必ず女子と二人一組で入ることになるため、自分の臆病さがバレる瞬間でもある。所詮文化祭レベルのお化け屋敷だろうと思い入るのだが、中はがっつりと視界ゼロ。よくここまで闇を作り上げたなと感心するほどだ。道は全て一人しか通れない幅で、上と横の壁から手や霧吹きや、モノが飛び出してくる。毎回、全てのお化け屋敷を回るのが習慣になっており、どこも長蛇の列ができている。
最後に軽音楽部の発表だ。文化祭になると、楽器屋経由でライブに使うPA、楽器、モニターアンプ、スピーカーとミキサーをいじるエンジニアをセットにして注文をする。文化祭当時の朝に機材が搬入され、午後一でライブが始まる。
高校生のバンドにとって、体育館ほどの広さの会場でライブを行えるのは、文化祭を除いてまずないだろう。近所の高校は、バンドの数が多かった。知り合いのお姉さんの友人のメタルバンドは、唯一のメタルバンドで、他のバンドは、日本のバンドが多かった。
高校生のカバーバンドの特徴で、スラッシュメタルをカバーするバンドは、必ずメタリカの「マスター・オブ・パペッツ」をカバーしている。理由は、ギタリストにとっては、弾きやすいリフであり、何といっても誰が弾いても格好よく聞こえるし、上手に聞こえるリフの王様だからだ。
スラッシュメタルには、他にもスレイヤーやメガデス、アンスラックスといった大御所がいる中で、誰もがメタリカをカバーする。サウンドチェックでは、必ずと言っていいほど、誰かが「マスター・オブ・パペッツ」でサウンドチェックをするのを耳にする。
どのバンドも盛り上がるが、近所の高校は、メタルバンドが最も盛り上がるという文化だった。他のバンドの時は、座ってみている人だらけだが、メタルが始まると大勢がステージ前にモッシュピットを作り、頭を縦に振り始める。
野外フェス並みの渦を巻くようなモッシュピットは危険なのでできないが、少なくとも、オールスタンディングの、文字通りの盛り上がりを毎年見ていて、「バンド冥利に尽きるな」と思ったものだった。
さて、自分の高校の文化祭へ戻るが、自分の高校の文化祭も近所の高校の文化祭と同じ内容だろうなと思っていた。しかし、何か全てが異なる。Nゲージはない。お化け屋敷もない。食べ物もあまりない。軽音楽はある。全体的に見て、外部から来た人を楽しませるという概念がないように感じた。内輪の人を楽しませるでもなく、ただ出しているだけの出し物にしか見えない。
何もないので、割愛もできないが、軽音楽部へと飛ぶ。自分の高校の軽音楽部も他の高校と同じ、PAや機材諸々とミキサー技師は、楽器屋を通して発注し、文化祭当日の午前中に到着、軽音楽部の部員が手伝って、各機材を配置する。ギターアンプは、必ずと言っていいほどにマーシャルのアンプ、ベースはフェンダーか何かだったと思う。あとは、TAMAがPearlのドラムが使われることが多い。因みに昼の会場は、大型体育館ではなく、第2体育館のような小さな体育館だった。小さいため、大型のPAやミキサーエンジニアは必要がない。大型体育館では、後夜祭の演奏のみが行われる仕組みとなっていた。
自分の高校でのバンド演奏は、お恥ずかしながら4か5バンドしかいない。そのうちの複数のバンドは、同じメンバーが掛け持ちしているバンドなので、カバーされているバンドこそ違うが、メンバーはもろ被りだ。そもそも、軽音楽部だけでは、バンドが結成できない程の人手不足だった。
男性バンドのボーカルには、サッカー部から歌の上手い人をお借りして、女性バンドのボーカルは、サッカー部の歌の上手いマネージャーをお借りして披露した。
部員数は貧相だったのは否めないが、正直、個人の腕は皆上手かったと思う。ギタリストは、私が1年の時の1~3年まで全員上手い人しかいなかったし、助っ人すらもラウドネスが弾けるくらいの秀逸なギタリストだった。
ドラムは各学年一人ずつ。ベースは私の学年で男二人女一人。そのうち、男一人は指引きの初心者だったが、3年生になって大化けする。1年の時は、色んなバンドのカバーで、2年でオジーオズボーン、3年でミスタービッグとエクストリームのカバーで後夜祭、昼間はXジャパンのカバーバンドだった。どれもリハーサル並みの集客で、全てスタッフと見間違えるくらいに誰も見ていない。
バンドをなんのために始めたのだろう。文化祭のライブをやるたびに思い返していた。「そう、モテるためだ」。モテるどころか、人がいない。ただ、玄人にはモテていたかもしれない。先輩のメタルバンドの仲間が他校から見に来ていて、Xジャパンのカバーを見て、私に彼らのメタルバンドのドラムを依頼された。そういう意味では、いいヘッドハンティングを経験できたと言える。