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渡米

 渡米当日。5月の中旬である。この日を迎えるまでに、私は、一度も海外に足を踏み入れたことがない。パスポートを作ったのも、この時が初めてある。恐らく第一の難関は、入国審査場であることは間違いない。

何名ものカウンセラーもこの日に同時に北米へ渡り、集団合宿に参加する。カウンセラーからは、
「『何しにアメリカへ入国するのか』と聞かれたら、『Study』と応えなさい」と言われたものの、私レベルの穎川力では『何のためにアメリカに入国するのか?』という質問すら聞き取れないはずなのだ。離陸を迎えるまで、期待で支配されていた私の心に、急に不安が押し寄せてきた。

 当日の流れであるが、合格した学生が全国各地から、この日を目掛けて成田空港に集結する。一都三県以外の地域から来る人は、恐らく皆、前日入りをしているはずだ。

 成田に集合する前に一旦、「箱崎」という場所で集合する。駅で言うと、「水天宮前」だろう。ここに一旦全員集合し、出発する生徒の確認を済ませる。親、家族、友人とは、この箱崎で最終的なお別れとなる。ここから先は、リムジンバスに乗り、成田まで向かい、そのままチェックインの流れで搭乗まで済ませてしまうのだ。

 私も両親が来ていた。基本的に私の両親は、空港まで見送りに来ることは基本的にはない。それは、どこへ旅しようが同じ事である。これくらいの両親の方が、子供としては楽である。心配はしながらも、「(失敗9割だと思うが)お前ならきっとやれる」と内心信じているところがある。特に、次男坊の私に対しては、常にそういう期待値を抱いていた。

 海外に行くのはもちろん初めてだが、飛行機に乗るのも生涯で2回目だったと思う。一度乗ったのは、八丈島に向かう時だ。私が生まれてから、母の田舎は、埼玉に移っていたが、元々は八丈島の出身。八丈島は、都道府県で言うと、東京都である。

 いつも祖父母に会いに行くときは、埼玉の越谷市へ行っていたが、一度だけ八丈島を訪れたことがある。あまりに幼かったのもあり、覚えている記憶はかなり薄い。唯一覚えているのは、現地の親戚達と一緒に崖っぷちで釣りをしていた時に、少し上のがけから兄が足を引っかけ落ちてきたことだ。

 崖から落ちてきたのを知ったのは後からである。目の前に兄が頭から落っこちてきたのである。落ちた先は、岩場。誰が見ても出血して即死だと思ってもおかしくない瞬間だった。丁度、水が入った窪みに頭が嵌まる形で落ちてきたのだ。それが幸いしたのかは不明だが、瘤を作っただけで出血もなかった。この時に兄の強運を垣間見たのであった。崖から落ちて泣いて済む人など、兄をおいて他にはいない。

 この崖っぷちの景色を見た八丈島に行った時が初めての飛行機の体験で、プロペラ機に乗ったのを覚えている。当時は、幼かったのもあるので、飛行機の中での記憶も非常に薄い。ただ、寝る時間などなく到着したと思う。外の景色を見ていた記憶はある。

 集団での入国の際は、一旦テキサスのダラス空港へと向かう。飛行時間的には、12時間である。ダラス空港に降り立ち、提携している州立大学を借りて、集団合宿を行う。外国人のスタッフはごく少数で、カウンセラーたちを講師として、ディベートやプレゼンなど、アメリカの大学で必要と思われるようなスキルを表面的にでも覚えるための合宿となる。

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