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大学の選定
浪人も半ばに差し掛かり夏期講習の時期に入る。そろそろ、受験する大学を固め始めた。早稲田を第一希望にして、慶応大学、同志社大学、中央大学、関西学院大学を受けることにした。
慶応は、SFCという学部に進学をしたくて勉強を始めたものの、途中で断念をしたが、別学部を受けた。自分が選択した大学にはA判定はなかったが、関西学院大学はB判定だった。過去問を見ても、関西学院大学の問題は、非常にストレートな良問が多く、明らかに落とすためのテストではなかった。
良問を出す大学に変な大学はないと思っていたし、正直受かると思っていた。関西学院に何か思い入れがあったわけではない。正直、入試問題の傾向からストレートな学風だと感じたからだ。
同志社大学は、現代文が超長文という特徴のある大学だった。現代文があれだけ苦手だったにも関わらず、よりによって超長文の現代文が出る大学を受けるとは、私もどうかしていたのであろう。ただ、何か受けるきっかけがあったに違いないとは思う。そしてそれは、現代文の過去問を授業中に解いている時に起きているはずである。しかし、全く思い出せない。
慶応は、藤沢キャンパスで勉強したかったという思いしかなかったが、自分のキャラ的にはどう見ても早稲田なのだが、自分にないものづくしの慶応に憧れはあったかもしれない。
さあ、入試当日である。試験は、関西学院大学から始まった。もちろん関東での試験会場なので予備校の一室が会場となった。記憶は定かではないが、代ゼミ以外の予備校だったと記憶している。模試の結果では、B判定だったので、自分でもここでいい手応えを受け、次に弾みをつける予定である。
しかし、想定内か予想外か、神様の悪戯というべきか、自業自得と言うべき出来事が起きる。
受験勉強をしている2年間は、睡眠時間ははっきり言って長くはなかったものの、ベッドに入ってしまえば眠れる人だった。眠りが浅くなったのもこの時期で、目覚ましが鳴っても起きられなかった人間が、ちょっとの目覚ましの音でも直ぐに目が覚めるようになった。
寝不足と言えば寝不足なのだが、布団に入って眠れず数時間ゴロゴロみたいなことは一切起きなかった。しかし、関西学院大学入試日前日は、眠れない事態が起きた。
寝ないと明日に響くと思えば思う程、より一層眠れない。時計の針の音がいつもよりも大きく聞こえ、より一層脳が研ぎ澄まされていくような感覚に支配されていた。
結局、ベッドには入っていたものの、覚醒はしていたと思う。ネタと言う感覚は全くなかった。緊張する性格はあまりしていないが、それは多くの事を経験した今だからであって、当時の未熟な自分からすれば、「受からなきゃ」と思えば思う程、バイオリズムが崩れていった。
もうこのまま寝てしまったら、起きられないだろうと感じた私は、そのまま受験会場に行く準備を整えて、家を出る時間が来るのをまった。
眠くなることを予想していたが、会場についても気を張っているせいか、眠気に襲われることはなかった。そのままコーヒーを飲んで覚醒していくのを期待しつつ、試験が開始された。
国語のテストだったと思う。記憶に残っているのは縦書きだったからだ。この試験を説いている最中に悪魔が降りてきた。恐ろしい程の睡魔に襲われたのだ。あくびが、1分おきに溢れてくる。あくびをするたび、頭の中はぼやけてきて、脳は何が何でも目を閉じようとしてくる。それを、私は必死に目を開けて堪え続ける。目を閉じたら、「意識を全て持っていかれる」という思いだけが、辛うじて目をこじ開けていた。
ここまでくると、テストの設問や内容など読んだところで一切頭に入って等こない。また欠伸がでた。そこから目を閉じては開けてを繰り返すようになった。そのインターバルはだんだんと長くなる。5秒閉じて開けて、次は7秒、次は10秒、次は15秒という具合に目を閉じる間隔が長くなっていった。そしてついに気が付いた時には、残り10分前の試験管の声。
「はっ」と我に返った時には、もう遅かった。設問は半分までしか解けていない。10分だと一通り目を通して答えを記入することもできない。最後まで終わらないにしても、「残り10分」という情報がなかった方が、冷静に解けて点数を取れたかもしれない。恐らく目が覚めてからの解答は、全て間違っているだろう。設問を読むも吟味が出来ていなかったからだ。
10分が経過した合図が、試験管の口より発せられ、私の1校目の試験全て終わった。安全圏だった大学が、合格の候補から消えた。
関西学院の結果が出るまでには時間がある。その間に、中央大学と同志社大学の試験を受けたが、どちらも手応えがなかった。そんな流れで慶応の試験日を迎える。まだ、関西学院の合否は分かっていない。少なくとも合格圏内の大学と五分五分の可能性の大学は、感覚的に全て手応えなしだ。
慶応大学への試験日、少しでも可能性があればと若干の期待を持っているのは父親だけだ。母は受かっても受からなくても、気になってはいない。そこまで看板を気にする人でもない。
慶応への道すがら、消化試合に行く感覚になっていたのは言うまでもない。折角受験料払ったんだから、結果ダメでも受けた方がいいという思いが、頭の中をぐるぐる回り続ける。消化してうんこで出して「水に流す」ことに集中することにした。
慶応の試験会場は、テレビで見たことのある大講堂。実際に見たのは初めてだった。こうなっているのかと。試験管が小さく見える。代々木体育館でみたコンプレックスの吉川晃司より若干大きく見えるくらいの大きさだ。こんな距離で板書をして読めるのかななどと、どうでもいいことを考えて自分を落ち着かせた。
試験の終わりを告げられた。私は鉛筆を置き、手応えがなかった答案用紙を速いところ提出して、その場を去りたい気分になった。すると試験官が
「もう、終わりですよ。鉛筆を置いて下さい」
と何度か繰り返す。私より後ろの座席の方で、悪あがきをしている人がいるようだった。
最後のあがきをして、合格を勝ち取ったのはいるのだろうか? 制限時間が来ているのを無視して続けて、もし一問正解するなら価値はあるだろう。しかし、そのあがきをする人が合格までに足りていないのは、恐らく1問だけではないだろう。恐らくもっと足りていないはずだ。合格する人は、少なくとも制限時間内に終わっている人で構成されていると推察する。そう思うと、悪あがきをする気にもなれなかった。
今でも覚えているが、慶応の問題で、文章記述の設問があった。その解答で自数が上手くはまらず何度も消した記憶がある。このパターンは、時間をかなり無駄にしている。消した時点で無理だと悟った。その思いが、消化試合感を更に加速させた。