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敬遠されるTOEFL試験

 既に入学は果たしているのでTOEFLは必要ないのだが、日本人的な考えと受験マインドにより、TOEFLで何点取れるようになったのだろうと試したくなり、同期の何人かと受けに行くことにした。

 毎週金曜日になると、各々の先生が、
「今週末は、何か予定は入っているの?」
と習慣的に聞いてくる。それに対して反射的に
「TOEFLを受けに行きます」
と応える。すると、先生は、眉間に皺を寄せ怪訝そうに
「何でそんなの受けるの? 何かに必要なの?」
と聞いてくる。

てっきり、勉強に関することなので、頑張ってらっしゃいね、という一声でもかけてくるのかと思いきや、真逆で、テストが良くてもESLの実績が良くなければ、正規のクラスへは送りませんから、と言わんばかりの表情である。

「自分の英語力がどれ程成長しているのかを確認したいだけです」
と応えると、
「私は、勧めないわ、TOEFLなんて。ESLをしっかり受けてさえいれば、大学での今後は保証されます」
という。

当時は、なぜそこまで怪訝そうな表情で、半ば怒っているかのような話し方だった。その意味が分からなかったのだ。今なら良く分かる。

 日本の英語教育は、英語を学ぶ本質が何十年も誤解されている。令和の社会なら英語を話す人が増えたし、実際に英語圏への留学や生活を経験して帰国した人が多く存在する。

しかし、それでもまだ、「外国語」が一つの科目として学ばれていることが大きな誤解なのである。

 最近では、大学の全ての科目を英語で教えるという大学が少しずつ出てきているが、言語は科目ではなく、コミュニケーションツールなのである。

科目として理論を勉強して言語を知った気でいるかもしれないが、英語100点取れる人が、英語圏に行って何も通じませんというのは、本末転倒である。

しかし、それをTOEICの点数が800点を超えていれば、間違いなく意思疎通はできるだろうと思い込むのは、間違いである。

 言語は、文化であり、科目ではない。言語を話す相手には、自分の文化とは異なる文化の中で生きてきたし、その文化を知っていることが前提で言葉を話していかなければ、意思を伝えるだけで理解することはできないし、理解もされない。言語を点数で図ってはならないのである。

 仮に日本の高校や大学の授業が全て英語で行われる社会になったとしよう。それで、十分だろうか? 答えは、「話せるようになる」という意味ではYESであるが、文化の一部としての言語の習得という意味では、NOである。ここが留学と国内での学習の限界点になる。

 諸外国の方々が同じように、日本語しか話せない環境の大学を現地で修了したとする。日本語はネイティブ並みに話すことが出来る。しかし、日本人特有の「ハイコンテクスト」なコミュニケーションができるかどうかと問われれば、難しいのではないだろうか?

 日本の文化には、「それくらい分かるでしょ?」という、誰もが一定のレベルの知見を知っていて当たり前という前提で会話が交わされる。しかし、これは、海外の方からすると、非常に傲慢なコミュニケーションになる。

 もちろん、日本人の全員が、そういうコミュニケーションのあり方に肯定的でないとも思うが、真理として、日本人は「常識」を求め「周りと同じレベルにいること」に安全地帯を求めている。

 「これくらい分かるでしょ?」っていういい方をしてくる人に対して「そんな話聞いてないけど」というのが、海外にはよくありますが、私は、国は関係なく、誰と対話をするにも、「相手は何の前提も知らない」という所から、コミュニケーションを始めるべきだと思っている。それが相手に対する敬意であり、プロレベルのコミュニケーションだと思う。

 日本は、ハイコンテクストの社会であるが、長いアメリカ生活から帰国した私のような人間からすると、「常識的に」とか「ありえない」という言葉を話している人がいること自体が「常識的にありえない」と感じる。

 「日本は島国だから」と個性を受け入れるよりも、島全体同じ土俵に立っていることに安心感を抱く。「島国根性」とかで、自分の文化こそ全てと、少しでも違う個を否定したくなる気質の人は多い。

 島国を一つにくくることは難しいが、島国であるが故の共通点はあると思う。周りを海に囲まれ、容易に外との交流が難しかった歴史から、独立心が強く、防衛本能も敏感というのがあるのだろう。

それは、国内においても如実に表れている。小さな会社ですら、古株社員が新入社員との間に線引きして区別しているなんてことは、日本では日常茶飯事で、「常識」みたいに存在しているが、外の世界から見たら「非常識」であることに気がついていないことが「常識」になっている。

 TOEICやTOEFLのスコアが優秀レベルに達していた人を、一括りにいい生徒、社員としてしまうのは構わない。

アメリカは、日本以上に学歴社会だが、いい大学を卒業している人は、概ね期待値を超えるパフォーマーも多い。しかし、いい大学卒だからといって、ローパフォーマーなら、解雇にもなるだろうし、企業は求めない。

 つまり、TOEFLやTOEICのスコアが悪くても、大学で求められているタスクを、期待されたパフォーマンスでこなせるのであれば、その人の方が給与は高いし、重宝されるということにも繋がる。

そういう背景の人に学歴やスコアがまだないのだとしたら、後付けで肩書を取得したら、大昔にTOEFLやTOEICで高得点を取った人を、一気に追い抜いてしまう。そういう世界であるこは、知っておいて損はないだろう。

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