定期代を使い込む
バンド活動にはお金がかかった。練習代はその最たるものだが、意外とかかったのは、ライブのチケットのノルマ代だ。日本でライブをやったことがない人のために、当時の標準的なルールを説明する。
各バンドは、ライブをブッキングすると、最低売らなければならないチケットを渡される。最終的にその人数を連れて来られなくても問題ないが、そのチケット代の合計は、最低限支払わなければならない。このチケットの手売りがしんどかった。
考えても見て欲しい。バンドをやっている私でさえも、知らないバンドのライブにお金を払いたくもない。しかも、そのジャンルが、自分が聞くジャンルでなければなおさらだ。
当時、定期的なライブ活動をしていたバンドでは、ビジュアル系バンドのカバーをやっていたが、自分の学校にビジュアル系を好む人はいなかった。少なくとも私のネットワークにはいなかった。だから、その分、現金で支払わなければならないのだ。
バイトをしていた時期は賄える時もあったが、強制的にバイトを辞めさせられた時期や、バンドの掛け持ちが多く、バイトのシフトを入れることが難しかった時期は、お金の工面に困窮した。
そこで思い切って定期代に手を付けたのだ。いけないことだと分かっていたが、背に腹は代えられない状況になった。定期が購入できなくなった私は、切符を買うお金も当然ないわけなので、自宅から高校まで自転車で行くしか方法がないことを悟った。
もう一つの難所は、どうやって行けば高校に辿り着くかだ。当時、地図はあったがナビはない。かといって地図も読める人間でもなかった。直感で感じたのは、線路を頼りに学校の方へと走る事だった。
本来の通学方法は、大きく分けて2種類ある。蘇我駅から自転車で向かうか、千葉駅からバスで向かうかである。つまり、最初のヒントは、高架線に沿って、蘇我駅まで出るということである。
実は、この生き方は入学当時から知っている。と言うのは、蘇我駅から自転車で通うために、蘇我駅に自転車を持っていかなければならなかったからだ。
もう一つのルートは、千葉駅側から自転車で学校まで辿り着く方法だ。このルートは、軽音楽の繋がりで仲良くなった友達が千葉駅周辺に住んでいて、その友達と同じルートで帰宅する時は、千葉駅を経て、蘇我へ向かい、蘇我駅に自転車を置いて、電車に乗って帰宅していた。そのため、千葉駅に自転車で到着さえすれば、後は、学校までの行き方は分かっていた。
この情報を頼りに、自転車通学を始めた。当時、グーグルマップは存在しなかったが、グーグルマップで当時のルートを自転車で走ると1時間10分ほどかかる。毎朝1時間強のルートをママチャリ通学していたのを考えると、驚異的な脚力が出来上がったのだなと感心する。しかも、往復だと2時間30分弱を自転車だけで走るわけだから、かなりの競技レベルだ。
それも全て金がなかった当時にバンドの掛け持ちが多かったという、まさに自転車操業をしていたことに今更気が付く。
ライブが行われる日は、ライブが終わってから、同じルートで家に戻るので、きついなんてもんじゃなかった。目が悪かった私は、夜になると、車のライトや信号が、眼鏡をかけていてもぼやけて見えるのだ。それに疲労も重なる。今思うとよくそこまでバンドに賭けていたなと感心する。