「ふつうの人」になりたかった
「レジ気にしながら作業してくださいって、私何回言いました?
レジに気づかないんなら、もう、ねっ!?」
「あ、はい、すいません、、、」
上司は怒りをあらわに語気を荒げた。
「もう」の後に続く言葉はかろうじてわたしの見解にゆだねられた。
・「もう、帰っていいよ」
・「もう、辞めてもらいます」
・「もう、あなたはいらない」
わたしはバクバクと心臓を鼓動させながら作業に戻る。
その作業が終わるとつぎに何をすればいいのか分からない。
怖くて上司のところに聞きにはいけない。
仕方なく同僚に何をすればいいのか聞く。一緒に作業する。
この同僚はわたしより4ヶ月遅く入ってきたのに、
もうなんだってできるし、対応も笑顔も完璧。
そしてなにより、わたしより5つも若かった。
「私これ終わったらディスプレイやるからきよしさんひとりぼっちになっちゃうねー」
スタッフの中で、ディスプレイも棚替えもやらせてもらえないのはわたし一人。
他愛のない台詞だったんだろうが、わたしは真剣に悔しかった。
悔しかったらがんばればいいじゃん、と人は簡単に思うだろう。
がんばれないのだ。
がんばると焦る。
焦るとミスする。
ミスするとおこられる。
おこられると手が震えるほど緊張する。
緊張すると夜眠れない。
夜眠れないと次の日がんばれない。
こういう悪循環を防ぐため、わたしは医師に処方された薬をきっちり飲み、適度に気分転換して日々をどっこい生きていた。
悔しくて悔しくて、地下街を誰よりも早く歩いた。
耐えろ。耐えろ。耐えろ。
できることならもっとクールに生きたい。
「平和にいきましょうよ。
レジを30秒待たされたからって、
あの人明日死ぬって感じじゃなかったですし」
と、さらりとかわすことのできる人生を生きたい。
良くも悪くも、感受性が強すぎるのだ。
これは私が障がいを隠してアルバイトしていた時の
私小説の導入部です。
「ふつうの人になりたい」
8ヶ月におよぶ入院生活を終え、15kgも増量したわたしは、
あるSNSの日記にこう記していた。
「わたしのゆめは、ふつうのひとになることです」
大学にも行く元気はない。
働くなんて無理だ。
支えてくれる父だって、仕事で忙しい。
母は急死してしまった。
絶望の中にいたわたしは、
普通に働けて、普通に生活できるって、なんて羨ましいんだろうと思っていた。
しかし、結論として、「ふつうのひと」なんてどこにもいない。
「ふつう」ってなんだ?
一般生活を送れる人?
一般就労できるひと?
健常者?
非精神異常者?
健常者を「ふつうのひと」とするとしても、
障がい者でも一般就労している人はいるし、
一般就労できないとしたら、
それは社会的な差別と言うべき場合もあるだろう。
でも、とにかく私は、「ふつうのひと」になりたかった。
「異常」の烙印を押され、
少しでもおしゃべりに白熱すると、
「あんた、ちょっとテンションが高いんじゃないの?」
と言われる屈辱。
単純なアルバイトでも、うまく行かない歯痒さ。
そんなことを綴って、日々をどっこい生きていた。
そして私はなんとか別の仕事を得て、
やがて配偶者と暮らし始めた。
当時の私が見たら驚くようなオシャレな部屋に住まわせていただいている。
あの頃の悔しかったり、悲しかったり、どろどろだったりした気持ちを、
今でも鮮明に思い返す。
そして、今はわかる。
戦ってない人なんていない。
今も私は戦っている。
オシャレな部屋は終着駅ではない。
多くの人が何かしらの荷物を抱えて、
広大な海を、渡らなければならないのだ。