見出し画像

ステージが変わる瞬間

「Aki君、転職活動しているのじゃないかってTさんから相談されたけど、そうなの?」

会社の小さな応接室で困った顔のS部長に質問され一瞬、どのように答えるべきか脳が固まった。最近、毎日のようにリクルーターから電話がかかってきて、その都度、英語で答えながらデスクを離れているので目立っていたのは否めない。Tは私の部下。

「部長、すいません。その通りなんです。」

上司のS部長は面倒見の良い人だ、尊敬もしている。どこかのタイミングで相談しなくてはと思っていたけど、そのタイミングは思っていた以上に早く来た。素直に認めて簡単に状況を説明した。1社からオファーがあり、もう1社からはオファー待ちだ。

「社長は知っているの?」
「いや、まだです」
「Aki君、社長の耳にも入れておいた方が良いよ」

こうしてある日の午後、日系企業の一課長だった私は上司との軽い雑談のつもりが、社長室まで報告にいく展開となった。そんな10年以上も前の話。

とは言え、まずはそもそもの話をしなくてはならないだろう。当時の私はアラフォーの日系企業のサラリーマン。10年のアメリカ滞在を経て帰国して数年。家族構成は妻一人、子供一人、そしてもうすぐ生まれる予定の子供がもう一人。会社ではチームを任されていて、仕事自体もそれなりに楽しんでいる状態。

でも転職活動もしていた。理由はシンプルに給与が足りないから。いや、妻も働いていたし、生活に困っていることはなかったけど、自分が思い描いている生活、子供たちに将来経験させてあげたいことなどを思うと、その会社で仕事をし続けていては実現しそうもなかった。

「希望年収が現在の年収と比べてずいぶんと高いですが、それはなぜですか?」
「アメリカで仕事をしていた時の年収に希望年収を合わせました」

この一言で外資IT企業のリクルーターが「OK」と納得した顔が蘇る。ここのアポはかなり急に決まった。と言うのも連絡をもらった時に「一社、オファー待ちのところがある」と伝えていたからだ。リクルーターのすぐ後に、チームの人間と面談があり、その数日後には日本法人の社長面談、そして「オファーをしたい」と連絡をもらうまで実に早い展開。その後、リクルーターから矢のようなフォロー連絡や、「社風を知って欲しい」とのことで会社の関係者との食事会に誘われたり、実に積極的だった。そして、そのフォローの結果、部下に怪しまれて会社バレし、上司と一緒に社長室に向かう羽目に。

「海外のポジションに戻してやるとしたらどうだ?即決しなくても良いから、奥さんとも相談してこい」

社長の提案は想定外で私の心は揺れた。社長は親分肌。海外出張含めていくつかのプロジェクトで関わったことがあり、目をかけてもらっている自覚はある。それだけに部長以上に転職活動をしていることを報告するのは心苦しかった。私が戻りたいと言えば、ポジションを作ってでも、戻してくれるのは分かった。

転職活動は不思議なもので、動かない時は全く動かないし、動く時は複数の案件が同時に動いたりする。実はこの時点で数えきれないほどの不採用通知をもらって1年以上。35歳転職限界説を信じざるを得ない心境にいたところ、何ヶ月もかけて進んでいた外資競合他社からオファーの一歩前まで進み、そこに外資ITが急に加わり、転職活動バレして本職からは海外ポジションのカウンターオファーをもらう運びとなった。

「なるほど。で、先輩は何を優先して決断するべきか迷っているのですね?」

その週末、東京から大阪に向かう新幹線の中で私の話を一通り聞いた後輩のHが言った。Hは私がアメリカ時代に道場で面倒を見ていた年下のタイ人。当時、仕事後に学生時代の延長と町道場で武道の稽古を続けていたのだが、そこにHが入門してきたことで縁ができた。たまたま日本を訪れており、私が出張で大阪に向かう週末、京都観光がしたいと途中まで道中一緒だった。

「先輩は何がしたいのですか?」

Hの質問は直球。だからこそごまかせないし、答えるのが難しい。給与を上げるのが至上命題だが、それは3択のいずれでもかなう。海外ポジションに戻れば手当がつくし、10年かけて築いたネットワークも再活性できるだろう。でもいつまで続くかは分からない。外資競合他社は小さな会社だが経営層ポジション。その経験はきっとキャリアの糧になるだろうが、現職とは真っ向勝負となる。そして外資ITの営業系ポジション。その会社から直接声をかけられたのは驚きだったが、ポジション的に必要とされるスキルは持っている。とは言え、IT業界について何も知らないしシリコンバレー系の仕事のスピードは未知数。成果が出せなければ早晩、クビかもしれない

「リスクがどこにあるかがポイントですよ。先輩の今いる業界は市場が縮小しているので先輩が優秀かどうかは関係ありません。その業界自体がリスクです。ITの方は業界自体はずっと成長しているからリスクは低めです。リスクは先輩です、そこでパフォーマンスを発揮できるかどうか」

Hの言葉に頭をガツっと殴られたような衝撃を受けた。同時にモヤモヤしていた頭の中の霧が晴れる。なるほどね。

「先輩はできる人だと思いますよ」

Hの最後の一押しで私の心は決まった。そう、リスクは自分、信じるのも自分。Hは笑顔で京都で新幹線を降り、私はそのまま大阪へ。

週明けに競合他社も海外ポジションも辞退し、外資ITのオファーを受ける選択をした。

あれから10年以上の月日が経つ。転職を重ねて外資IT業界で今は3社目だ。最初のリクルーターとはそれぞれ会社が違うが今でも親睦があるし、後輩のHとは月一でビデオ会議をして彼のスタートアップの相談役をしていたりする。

まだまだ道半ばだし、相変わらず将来に対する不透明性はあるけれど、あの時の自分に今の自分の立ち位置は想像つかなかっただろう。あの選択があったから今の自分がある。そのきっかけは新幹線の中でのHの一言。

人の縁と、こうして久しぶりに思い返す機会を得られたことに感謝。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?