救いのないゲームは駄作なのか?
ゲームは多様性のある娯楽だ、時には悲劇を語る場合もある。
盛り上がる場面としての悲劇を乗り越えて明るい結末へと歩んでいくものもあれば、そうでないものもある。
具体例を挙げれば鬱ゲーと呼称されるゲームがある、これらは救いのない悲劇によるカタルシスを楽しむものである。
例えば一例を挙げるならばドラッグオンドラグーンと言うゲームが存在する、これは【敵国の過度の憎しみから敵兵を殺す事に悦楽を覚えている主人公が表向きは亡国の王子としての復讐を掲げつつも実態は”自身のフラストレーション発散の為に帝国兵を殺しまくる”】と言う表層を探っただけでこの有様って作品である。
更に物語は深刻化していく、【実兄である主人公に対して恋慕を向ける妹・許嫁が兄貴に首ったけな所為で主人公への嫉妬で段々おかしな事になっていく親友・役に立たないハゲ】などの脇を固めるメンバーと、【ペドショタ野郎・幼児専門の人食鬼・歳を取らない少年】などの愉快な仲間達、最後には殆どの人物が不幸になって終わる。
このゲームの特徴といえるのは【マルチエンディングシステムを導入している】点である、つまり最初は悲劇的でも抗えば最後はハッピーエンドに辿り着くと期待させる訳だ。
一回目は頑張ってカルトの教祖を倒したが封印が解かれ、主人公は、自ら封印となる道を選んだ最愛の相棒であるドラゴンと別れる結末を迎える。
そしてプレイヤーは更に四回、合わせて五つのエンディングがあるのだが…
このゲームの特徴といえるのは【マルチエンディングシステムを導入しているのに”クリアする度に状況が悪くなる”】事である、まあそれについては是非プレイして欲しい。
つまり”頑張れば頑張る程酷い結末”を訪れるし最後まで希望がない訳だ、人はこれを駄作と言うかも知れない、希望を求めて頑張った人は余計にな。
だが今作はその狂気や悲劇性が高く評価されカルト的な人気を誇っているし続編も数作出た。
これは分かりやすい話が、人間は悲劇を好む部分がある。
そして悲劇であれ、喜劇であれ、出来の良い作品であれば評価されるし出来が悪ければ批評される。
その意味でDODシリーズは突き抜けた悲劇であり、不謹慎な描写を多く含んだ刺激的な一作である。
アクションとしても佳作ではあるので是非プレイすると良いだろう。
なんだか今回はダイレクトマーケティングになってしまった気もするがこの辺にしよう。
長いお付き合いをありがとうございました
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