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おうさまだーれだ
皆さんこんにちは。
土日どちらもスポーツ教室の現場に立つことができず、久しぶりに子どもたちに会えない悲しみを感じています。ばじと申します。
さて、これも一回きりではなく第二回に踏み出すことができました。
書きたいことがあったら書いちゃいますね。
ゲームと同じ感覚です。楽しかったらやっちゃう。
はじめに
先に言います。今日書こうと思っていたことが一個あったんですけど、書いてるうちにわからなくなってきちゃって全部消しちゃいました。
なんか言いたいことがあってもうまく吐き出せないことが多いんですよね。
カバンに荷物がぎゅうぎゅうで詰まっててそれを出そうとしたら溢れ出しちゃって片付けられなくなっちゃうみたいな。まさにそんな感じで。
と言うことで、今日は先に書こうとしてたテーマとちょっと違う路線の内容を書いていこうと思います。
さて、早速書いていきたいんですが、正直今日書きたかったことを書けなくなっちゃったせいであまり書くことが浮かびません。
それでも今は書くモチベーションがあるのでとりあえず書いてみようと思います。
2回目からこんなんでいいんでしょうか…
①もちべいしょん
さっきの文章の中で「モチベーション」と言う言葉が出てきましたね。
「モチベーション」って改めてなんなんでしょう。
ネットで調べてみると、定義として
「人が何かをする際の動機づけや目的意識。」と出てきました。
じゃあ僕の今この文章を書いているモチベーションってなんだろう、と考えてみると、
・空いた時間が取れた
・文章で今日の記録をしたかった
・なんとなく書きたい気持ちになった
・今日何もできていない自分に物足りなさを感じた
・誰かに見てもらえる文章を書きたかった
こんなもんですね。意外と要素が多かったです。
これらがなんで生まれたんだろう、って考えてもいいんですけどそれだとめちゃくちゃ長くなりそうなので、今回は割愛します。
②じぶんから
理由は深掘りしませんが、ちょっとこれをグループ分けしてみます。どんなグループ分けなのか、ぜひ予想してみてください。
Aグループ
・文章で今日の記録をしたかった
・今日何もできていない自分に物足りなさを感じた
Bグループ
・誰かに見てもらえる文章を書きたかった
Cグループ
・空いた時間が取れた
さあどんな分け方でしょう。
と言いつつ正解をもう言っちゃうんですが、
「A.内発的動機から来たもの
B.外発的動機から来たもの
C.どちらとも言えないもの」
でした。あってましたか?
とは言ってもこの分け方も主観なので絶対こうであるとは言えません。
皆さんがこうだ!と思った分け方があればぜひ教えてください。
これをみてわかるように、ひとえにモチベーションとは言ってもその内容にも種類があるんですね。
ちなみにこれはもっと細分化できます。「自己決定理論」と言う言葉を聞いたことがあるでしょうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1686480291871-C2RCttoM0F.png?width=1200)
自己決定理論とは? 3つの軸と5段階のプロセスを理解して、内発的動機づけを促そう
https://learn-tern.com/self-determination-theory/
この図には、モチベーションを決める3つの軸と動機づけの5段階が記されています。
当然、これは下に行くほど内発的動機づけに近づき、やる気、持続時間が伸びると言われています。
まあこれに全てが当てはまるかと言えばそうではないかもしれません。
実際僕の今の欲求は「取り入れ」と「内発的動機づけ」が混合しているような状態です。
とは言ってもおそらく内発的動機づけにあたるのかな、と思っています。
まあどちらにせよ、自分からモチベーションを作り出すことが、継続していく上でとても重要なことである、と言うことです。
③おうさまだーれだ
だからと言って、僕は外発的動機づけを否定したくないです。
外発的→内発的へと変化していくケースはもちろんあるし、それで自分が満足していて続けられるのならそれでいいと思います。
逆に、内発的な人に外発的動機づけを施した時、「アンダーマイニング効果」と言ってやる気を削いでしまう現象が起こることもあります。
これは長くなるのであまり触れません。
第一回で話したように、僕は「とりあえずやってみる」の精神でいろいろなことに挑戦しています。
もちろん飽きることはありますが、続けているものはとことん続けられています。
内発的か、外発的かを考える時、何を基準にしたらいいかな〜と考えた時、「王さま」を考えればいいのか、ってとこに行きつきました。
ここでいう王さまは、行為の目的に関わるもの、わかりやすく言うと「何のためのものか」の「何」の部分です。
そこに自分の楽しさのため、自分のやりがいのためというのがあれば、その場面の「王さま」は自分であり内発的動機づけができていると言えます。
逆に誰かのため、何か報酬のためにやる、というのは「王さま」が自分ではありません。これは外発的動機づけに当たるという事になります。
ここで、とある事に気づくと思います。
「自分の生活のため、自分が求められてるから、も王さまなの?」と。
大事なのは、あくまで「王さま」である事です。いくら自分のためといっても、それが自分にとってプラスの感情であり、自分が主人公でなければ王さまであるとは言えません。
今やってることが果たして「自分を王さまとしている」のかどうか、今一度考えてみてもいいのかな、と感じました。
この「王さま」論、なんか違う使い方でどこかでまた使えそうですね。
おわりに
僕自身、僕が「王さま」になっている活動はたくさんしています。
ただこれはあくまで動機づけの観点での話であり、その活動の中で自分が王さまをしてしまうと当然不都合や不利益が生じます。
これはちょっと最近僕が感じちゃってることなんですよね。
自分の理念を押し付けようとしちゃってるかも…って感じた場面がいくつかありました。
ちなみに前回もこうしてみましょう!って感じで偉そうに終わっちゃった気がします。烏滸がましいですね。
という感じで、長くなっちゃったんですが今回はこのくらいで終わろうと思います。次回はちゃんと書く前に決めたテーマに沿って話せるようにしたいと思います。それでは!