多様性の根源にあるもの~子どもたちとの時間で気づいたことVol13
自分を表現するということ
能登半島沖地震で被害に合われた皆様に
心よりお見舞い申し上げます。
年初から、心が痛む出来事でした。
『子どもも大人も学びあう・育てるから育ちあうへシフトする』
~私自身が日常や子供との関わりで大切にしたいこと、
伝えていきたいことの主軸としているこのキーワードですが
言い換えれば ”寄り添う心と大切にしたい在り方” であると思っています。
いついかなる時も
「自分への寄り添い」、「他者への寄り添い」ができるなら、
必ず次の一歩につながっていくと、信じています。
子育てや教育に関わらず、全てのことに通じること。
次の一歩へつなげる気持ちを持ち続けること。
そのような想いを、また新たにしました。
今年もまた、ここで、
子どもたちとの時間で気づいたことを綴っていきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
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今回は3回に分けて記録してきた、3つめのお話です。
その1は 自分の感情を表現しなかった学童保育での出来事
その2は 自作の絵本を通して、
自分の気持ちを表現していたお子さんとの出逢い
今回は、その振り返りと、その後のお話です。
(これまでの記事は こちらです↓)
〇その1
https://note.com/grow_akikofujita/n/n0da172d0f2d5
〇その2
https://note.com/grow_akikofujita/n/n7cfcbe30ee22
その1に書いたある日の場面と、その2にご紹介したTちゃんの自作絵本。
読んでいただいた際、どのようなことを感じられたでしょうか?
感じることがもたらすもの
大人の私たちは、五感で感じたことを言葉に置き換え、
思考でキャッチ(認知)する、
または過去の経験と照らし合わせて自分にとっての意味づけをする・・
その一連の過程を”感覚”として捉えています。
ですが
小学校低学年、7,8歳くらいまでは、
全身で感じているのが、この年齢の発達段階です。
『身体全体で感覚器のように感じている』(シュタイナー)という
学童期前半までの子どもを説明する表現を知ったとき
なるほどなと感じ、心から納得しました。
特に幼児期前半では、
絵本の中のお話と現実の境界線がなくなったりすることを考えると、
”全身で感じていること”が、イメージとして伝わるかと思います。
感じたことをどう表現するかは、もちろん個々それぞれ違いますが
瑞々しく、五感で感じられること、表現できることは
自尊感情を育むうえでも、とても大切な土台なります。
【~どんなことをそのまま感じてもいい~】
そう思えることで、自分という存在にゆるがない砦がうまれ
その先に周囲を見る目も育っていきます。
例えば・・・
どんなに個性を育てようとしても
どんなに表現する手段や能力を身につけたとしても
この自分と言う存在への揺るがない砦が充分に築かれていなければ、
文字通り、揺らぎます。
根が育っていない木は、
地上で幹や枝葉が育っているように見えても、雨風などの条件によって
それ以上成長がままならなくなってしまったり
ついには倒れてしまうように。。
感じたことを表現する
そういった意味では【その1】に登場したお子さんは、
自分の感覚を出し切れていなかった場面でした。
痛いはずなのに、痛いと言わない。。。
https://note.com/grow_akikofujita/n/n0da172d0f2d5
頭のなかで自分の感覚を、なかったことにするかのような場面でした。
そしてその2の Tちゃんの絵本。
https://note.com/grow_akikofujita/n/n7cfcbe30ee22
たまたま見せていただいた手作りの絵本でしたが
どの瞬間も、自分が感じたことがそのままの言葉で綴られていると
感じられた方が多かったのではないでしょうか?
私から、”とてものびやかに感じたことを表現されていて
しっかりとそれを言葉にしていることに驚いた”・・という
絵本の感想をお伝えしたところ、
お母さんが返信とともに綴って下さったエピソードがありました。
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Tちゃん家族は昨年12月、
国内ホームステイで中学生のお姉さんを自宅に迎え、
1泊2日を家族として共に過ごしたそうです。
(海外にホームステイをするお子さんの、プレ体験として国内でのホームステイを練習するという取組)
最後に家族でお姉さんをお見送りをした後の帰り道、車中で、
静かだなぁと思いよく見ると、声を出さずに泣いていたそうです。
お母さんが気づいてから
「楽しかったね。また会えるよ」と、頭を撫でたら
声を上げて、そのあと1時間ほど泣いていたそうです。
こんなふうに思い切り泣いたのは初めてで、
お父さんもお母さんもとても驚いたこと、そして、
「子どもであっても感情をもった一人の人間なのだ」という
初めての感覚が湧いてきた
・・というお話を聴かせてくださいました。
大人ができることは
奇しくも、同じ時期に出会った(聴かせていただいた)
対照的な対照的なそれぞれの場面に、
”子どもが自分で感じたことをありのままに受け取れるには・・”
”大人ができることって何だろう・・”と、ずっと考えていました。
表現しなかった、その後
大丈夫を繰り返し言っていた、学童保育でのお子さん。
私が特にその子の前で、できるだけ瑞々しく感情表現をするようにしてから
なぜか気づくと、私の側にいることが増えました。
「うれしいね」「すごいな~」「びっくりした!」などの言葉には
嬉々として言葉を返してくるのですが、
「いやだなぁ~」とか「なんか、ムッとしちゃう」とか「かなしい~」
といった、ネガティブな言葉を口にした時は
何も言わずじっと私の表情を見上げ、伺うように
見つめる時間があることに気づきました。
それでも、同じように感情表現をし続けて、2週間ほど経過した頃
冬休みに入ったある日、外での雪遊びで
園庭にある小高い山に登ってソリ遊びをしていた時のこと。
ソリを抱えて滑る順番待ちをしていた時に、
「わあ~~♪」という声が聞こえて振り向くと、
この子が空を見上げているのです。
何を見ているのか・・目線の先を見てみますが、
ただ「空」を見続けています。
「どうしたの?」と声を掛ると・・
「くもが うごいている!」と、
いつもより高い声音と笑顔いっぱいで返事がきました。。
「うん、雲、動いて見えるよね」と一緒に見上げました
「うん、くもってうごいているんだね。はじめてしった!」と嬉しそうに
その後もしばらく空を見続けていました。
自然のなかに身を置くと、
意図せずとも、あるがままを見る、受け止めることになるのですよね。
”こうしよう”と思っても、空に浮かぶ雲は誰も動かせません。
雪の降り方には、いろいろな降り方がある。
降るタイミングは決められないし、
静かに穏やかに舞うように降る雪もあれば、
細かい氷のように、頬に刺すように風で吹き付ける雪もある。
広い広い空も、浮かぶ雲も
大きな大きな深い海も
ただただ、圧倒的な広さ、大きさ、そのままを感じる。
大人も、子どもも。
自然のなかで過ごす、遊ぶ、ということは、
壮大な感覚や揺るがない感覚、包容力を ≪身をもって体感する≫
とても大切な経験の積重ねになると思います。
(運動機能や、脳の発達との関連についても、明確な研究結果があります)
自然のなかでの遊びでは、子ども同士のもめ事が圧倒的に少なくなるという報告もあり、子どもは自然との共鳴をそのまま体現しているようにも感じています。
どのような場面で、どのような環境で、どのように受取り
どのような感覚が働くか。
表現しやすい環境は、どのような場面か。
そういった視点で子どもたちをみると、
それもまた個性であることを感じます。
みんな違うし、違うことが自然であること。
このお子さんのこの場面に出逢えて、とても嬉しかったですし
違う見方をみせてもらったと感じています。
ひとつの場面で、決めつけるのではなく
人にはさまざまな表情があることを、忘れずにいたいと思います。
「人は一日一日、違う場所にいる」
「毎日成長している」
ということを 心に刻んだ出来事でした。