望むなら・・・ "心の癒しを"
今 望むなら "癒される心"が欲しいです。
私は 自分なりにできる 思いやりと 感謝の気持ちを込めて 取り組んでいるつもりですが なぜか 私の心は ただ 虚しいだけで 終わってしまう のです。
私自身が いけないのかも 知らないけど 全てが つながりません。
今 親も亡くし 兄妹 親戚からも 見放されてしまいました。
今のひとりぼっちの 自分を見たとき
心の寂しさと 虚しさが こみ上げてきます。
周りにはたくさんの 世話をしてくれる 人がいます。
贅沢は言えないのはわかっているのですが 自分の 先のことを 考えると 何か 寂しさが こみ上げてきます 。
本当の 思いやりと やさしさというものに 幼い頃から 求めていたせいか 今
ひとりぼっち になって 余計に 寂しさが こみ上げてくるのかも しれません 。
障害者として 人に 世話になる以上は 贅沢は言えないし 人と人との 付き合いを 大切にしなければ 物事はすすみません。
あきらめなければならないこともあります。
自分自身にとっては 仕方のないことかも しれません 。
ただ言えることは自分 一人で は生きられないという 事実が あるということです。
今考えるに この寂しさを 紛らわすのにどうすれば良いのか
どうすれば 我慢できるのか
どうすれば 強い気持ちになって 生活できるのか
本当に わからなくなってきました。
糸の切れた 凧のように ただ 風に飛ばされ さまようだけの 自分自身
どこかの 木の枝に 糸を絡めて 風にまかせて 浮かれているだけの 私だなぁと 今 つくづく思います 。
あるいは、まるで 翼を バタバタと 震わせて さまよい続け 疲れ果て 羽を休めたい 鳥のように 止まり木を探し続けている 自分自身が いるんです 。
昔から比べると 友達が 少なくなってきて 友達を 探す時間さえ なくなってきているのが 現状です。
自分自身が そのようにやってしまったことも事実としてある以上仕方がないと思いつつも 諦めきれず 追い求め どうしようもなく 残り少ない人生をみつめています。
人生の 2/3 過ぎようと している 時だからこそ 焦って いるのかもしれません 。
体もだんだんと 時が経つにつれて 悪くなって いることも 現実にあります。
世話にならなければ やっていけないことも事実として、この先 どうすれば 真実の 支えとしてくれる 人を見つけられるのか 思えば思うほど 焦ってしまう自分がいます。
自分自身に 腹立たしさと 苛立ちで 嫌な自分が出てしまいます。
この 寂しい顔が 笑顔となれるよう 今後 努力 しなければ いけないと思っています。
そして最後の人生こそは、真実の とまり木 を見つけて 幸せな生活で 終わりたいものです。