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マンダラエンディングノート~「私の人生編・明日への覚悟」延命処置は?

命にかかわる病気になったら延命処置はとりたいですか?

2018-07-31
17年前の今日、母は旅立ちました。
WEB日記に残された、その数日の記録や心のさまが甦ります。

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2004年7月26日の日記

今日は病院の先生からお話がありました。
虫の知らせでしょうか。
どうしても今日は行かなくちゃと思ったのはこのためかもしれません。

敗血症を起こしていて、そのせいで高熱が続いている。
このままでは危険な状態で、今日の検査の結果を踏まえて施療をするけど、体力と、薬が合わなければ負けです。
つまりお亡くなりになるとはっきり宣告されました。

五分五分だって。
あれだけ衰弱していて果たして持つのでしょうか。
たかがブドウ球菌ごときに命を奪われるなんて・・・。

今日はすこし目を開けてくれました。私が解っていないかもしれませんが・・・。
どんどん母は壊れていく。辛いけど、見てられないけど、見なくてはいけないのだと思う。
そして、やるだけやらないと・・。

 五十路なる私今なお母恋しものも言わずば寂しさ積もりて

2004年7月27日

とにかく、今は、いいほう五分にかけることにしよう。このままでなんてどうしても思えないから。気持ちで負けたくないし!

あれだけ弱って、苦痛の中で生きてるだけ。もう逝ってもいいよ。楽になってもいいよって正直思ってる。
でも、もう一度だけ、しっかりと、私たちのことを認識できて、みんな廻りにいる中で穏やかに逝ってくれたらっと、望むのはそれだけです。
だから、もう一回だけ、持ち直して欲しいって思ってる。

2004年7月28日 延命治療はしないことに・・・

お昼前までは、回復するほうの五分にかけていたのですが・・・。
一週間もたない、今のところは意識はあるという知らせに、仕事を抜けて病院に走りました。
憎たらしい菌は肺に悪さを始めたらしく、呼吸が困難になって、酸素吸入をしているのが痛々しく・・・。空ろな目は、どうしても私を認識してはくれませんでした。
意識はあっても、すでに感情はないのでしょうか。
あなたの娘だとなんとか解ってもらえないか、解っている証がないかと試みましたがだめでした。
いつなら間にあったのでしょうか。もう、二度とは母と娘としての時間は還ってこないのでしょうか。

追い討ちをかけるように、辛い決断をしないといけませんでした。

医師から、延命治療をするかどうかの意思確認がありました。
姉弟三人でしないことに決めました。
母が望んではでいないだろうと思ったからです。

一昨年の夏、病に倒れてから、母は自分が子どもたちの荷物になっていることを苦にしていました。
死んだときは、悲しいと思わずに、重荷を下ろしたと思ってくれたら嬉しいと言っていました。

いつまでも元気で長生きをしてくれるのが一番いいのですが、辛い痛みに耐える日々も3年目ともなれば、見ているほうも辛い。

贅沢は言いません。
もう一度だけ、はっきりと目を開けて、私たちを見て、みんなが来ていることを、囲まれていることを喜んで過ごし、そのまま穏やかに逝ってくれたらと・・・。ただそれだけです。

勝手に決めるな!

Q:あなたは自分が命に係わる病気になったら延命措置を取りたいですか?私の答えは
A:緩和ケアはとってほしいけれど、延命措置はとらなくていいです。

そうなったら、受け入れることにしようと思っています。
でも、家族は苦しみます。

息子と娘には「勝手に決めるな!」と言われました。
何で?自分の命を決めちゃいけないの・・・?

2004年7月29日 気持ちは不思議に落ち着いている

今日の正午には血圧も下がり脈も乱れて、一時危なかったのですが、持ち直しました。
昨日からずっとだったので交替することになり、帰宅しています。
疲れているのですが、目が冴えているのでこの二日間思ったことを日記を書いています。

気持ちは不思議に落ち着いている。
後でこたえてくるのかな。

父の時も、よく似た後ろ姿の男性を見たら、路上でも、電車の中でも、悲しみが吹き上げてきて困った。1年間ぐらいはそうだった。

でも、人は忘れることができる・・・。
自然にしていたらいいのですよね。気持ちに素直になって。
今も無理していない。

今夜つかないで帰ってこられて、本心ほっとしてる。逃げてるかもしれないけど・・・。
今は、誰かがその時に側にいてくれたらいいと思っている。
自分がって思わない。だから落ち着いてる。
母とは充分につきあったから・・・。
この数年、このために向き合ってきたから。

装管しないと決めたことに、孫の息子と娘はも抵抗した。
説明はした。
「かあさんの時もそうしてね」
 って言ったら
「自分の考えだけで言うな」
 っておこられた。
まだ、解るには、若すぎる。親の言ってたことが解るなんて、そろそろさよならしないといけない頃になってから。
人生は深遠です。
この2日で、幾つも年を取ったみたいな気がする。

人間としていろいろな学びがあったってことですね。
さて、明日からも大変です。
無理にでも眠ることにします。

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夜は息子と二人で泊り込むことにしました。
こちらのクリニックでは、もうすぐ、病棟を廃止する事になっているので、空いているベッドをお借りして、交替で付き添いました。

今夜中は容態の変化がなければいい。
延命治療をしないことを選んだけれど、実際には、その場面にはまだ遭遇していないので、もし、呼吸困難に陥って苦しむ姿や、もうこれで逝ってしまうと思ったら、やはり装管してくださいって、先生に泣きついてしまいそうです。
 
自信はありませんから、息子と二人の時にそのときが来ないでほしいと、ただそれだけを思っていました。穏やかな最期それだけが叶えられたらいい。

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母のこと、延命治療をしないと弟たちと決めたときに
孫の息子と娘は抵抗しました。
どんな形でもいいからおがあちゃんには生きていてほしいと・・・。

そして、私の命のことも勝手に決めるなと叱られて、あの時は、何故、自分の命を自分で決めちゃいけないのかと憮然としました。

そうやね。勝手に決めちゃいけないね・・・。
私の命ではあるけれど、家族の命でもあるんだからと今は思う。
人生会議しておかないとね。

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マンダラエンディングノートで
かけがえのない親子の対話の時間を
持っていただけたらと思っています。



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