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一枚の自分史(偏愛山旅マップ):母の一周忌「弥陀ケ原いま花の楽園」
2006年8月4~6日、56歳、母の1周忌を修めての山だった。
私の山の原点は白山である。もう何回登ったかわからない、そんな白山が所属していた山の会「一歩会」のその年の夏山例会の候補に挙がっていた。リーダーを請われて引き受けた。私の中では母への追悼の意味もあった。
大正14年生まれの母は当時では珍しいだろう、娘時代に富士山、立山、白山と登っている。母の生まれ育った家は、白山の福井県側の登山口に向かう途中の郷にあった。昭和20年3月に東京高等技藝学校を卒業した母は空襲を潜り抜けて帰郷していた。
戦争が終わったとき、母たちは村のみんなで暗いうちから提灯を灯して歩いて白山に登った。室堂に泊って、ひと抱えもある大きなご来光が力強くぐんぐんと登るのを見た。室堂の直下にはクロユリが群生していて得も言われぬよい香りがしていた。「国破れて山河あり」だったと、私たちきょうだいは聞かされて大いに影響を受けて育った。
おかげで、私の青春は社会人山岳会にかなり費やしたし、妹はヨーロッパアルプスまで遠征し、弟は大学でワンダーフォーゲル部に属した。
初めの一歩は白山だったし、お盆に帰ると必ず登った。熊の出没にひやひやしながら別山コースを単独で岐阜側にも降りた。
結婚後、十数年は山から遠ざかった。子育てが一段落するころに、ちょっとした中高年の登山ブームが起こって、中高年の山仲間とそれなりに楽しんだ。
世の中はヨン様ブームだった、一瞬はまりそうになったが、それどころではなかった。母の介護をして見送った。不本意ながらも会社ではリストラを手伝った。自分の家族もそれぞれに問題を抱えていてしっかりと巻き込まれた。山登りは若い頃のように体も心も軽くとはいかずにそれなりに楽しむしかなかったが、山に登って体を虐めることはいいエスケープゴートになった。
早朝にチャーター便のマイクロバスで出発。交通渋滞に巻き込まれ、遅い登山開始で、18時30分に夕陽とともに南竜山荘着。満天の星を仰ぐ。
翌朝、ご来光を仰ぎながら、南竜山荘から、とんび岩コースで室堂へ。御前峰~お池コースを経て室堂へ。4時から5時に、順次下山。6時、白峰「春風旅館」着。打上げ宴会と温泉で憩う。翌日帰阪。
リーダーの重責もあった。人生におけるピンチが団体で押し寄せたあの2.3年で10キロ体重が落ちていた。1日目の南竜ケ馬場までは体が軽くなった分だけ快調だったが、2日目は完全にスタミナ不足だった。ずっと重い荷を背負っているようだった。
きつい登りだった。リーダーとして誰からも目を離すことはできない、そのことが重く圧し掛かった。苦しかった。みんなも苦しい登りだった。いつしか、小声で正信偈を唱えていた。すると苦しみが消えた。ハッとして顔を上げると真っ青な空に朱いクルマユリが映えていた。
室堂が視界に入った。弥陀ヶ原は一面のお花畑だった。イワギキョウ、ハクサンコザクラ、ハクサンフウロ、コバイケイソウ、アオノツガザクラ、チングルマ、そしてクロユリが群生していた。
母が登ってから50年も経っていた。植生も変わっているだろうと思っていたけれど、母が言っていたようにそこにクロユリは群生していた。やっと逢えた。ふっと体が軽くなった。
あの日、母を背負って白山に一緒に登っていた。母がかつて見たクロユリの群生地で背中から降りたのだ。母はもう一度クロユリの群生地に行きたかったのだ。あの山行は必然だったのだと振り返って思う。
この時は、それだけでは終わらなかった。ひたすら大下りする下山路でハプニングは起こった。一番年上の会員が故障を起こして大ブレーキをかけた。最終バスに間に合わないと大変なことになる。多勢の先発隊を下ろして、登山口からはバスで白峰温泉に向かってもらった。救護隊を少数にして、登山口で工事車両を捕まえ、救いを求めて白峰まで下ろしてもらった。
リーダーとしてピンチに見舞われたが、不思議なほど冷静に判断し、機転を利かせて行動できた。体力不足ながらもバテることもなく、その責任を果たすことができた。
無事に全員が白山御前峯の頂上を踏んで下り、白峰温泉で一夜を憩い、帰阪できた、私たちはきっと何かに守られていたのだろう。そう思えて仕方がない。すべてが時間切れ寸前で何とかなったのだから。はてさて、これも必然だったのならば、どんな必然があったのだろう。
今でも山恋は続いている。自分を喜ばせるために、自分と繋がるために山に行く。もう登れなくても山カフェめぐりやトレッキングでいいと思っている。そのためにも今少し体力も脚力も気力も維持し続けたい。逢いたい山に、逢いに行くために。
山靴を伝わる大地踏みしめて朝明間近に吾ら発ちたり
苦があれば楽きっとあり我が登る道にはきっと花が微笑む
真夜中に小屋より出て佇めば天の川より星は流れる
励まして生きん思いを深く持ち流れる星を独り眺むる
喘ぎつつ見上げる吾を驚かすクルマユリ朱く群れて咲きおり
信仰の山に咲きいしイワギキョウ紫ゆかし雲上に冴ゆ
吾が愛し母の愛した白山の弥陀ケ原いま花の楽園
クロユリは室堂下部に群れ咲くと母言いおりしそのままにあり
雪渓より流れし水の冷たさよ含めば汗はたちまち引けり
白山の山頂に立つ若き日と同じポーズして道標を抱く