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19年経って、母の命日に思うこと
19年前、7月30日の22時過ぎに79歳の直前で母は旅立った。
その時の思いはその後、少し遅れて、でもきっちりと記していた。
ひとしきりその時の哀しみを改めて思い出して泣かずには読めなかった。
こんなにも書いたものを読み返すことでその時の魂の記憶が鮮やかに蘇るのだ。
母を看取ったとき、母は喘ぎながら三日三晩を過ごしながらも、看取りたいと願う人に平等に光を与えて旅立った。
母は最期の時に意識はなかったが、みんなから愛されていると感じて旅立っていったと思っている。
それでも私は長く未完了に苦しむことになった。
「看取り」とは
逝くものにとってはそれまでに培った大切なものを「ツナグ」とき。
残される側が魂のエネルギーを受け取ること。
19年も経ったのに、私は母との約束をまだ果たせていない。
母は生きた証として培ってきた心の在り方を本にしてほしいと言っていた。
昨年の3月に父がつないだ命のバトンを書いた後、母の大切な想いのバトンを繋ぐために書き始めたものの途中で止まったままになっている。
父のことを書いたあとの軽い脱力状態が続きすぎている。
これ以上、母には待たせる訳にはいかない。
来年のこの日には出版すると決めた。
何か事情がない限り、決めたら必ず叶うはず。
父の物語を執筆している時、父の魂のエネルギーを受け取ったと感じたときがあった。やっと看取りができたと思う瞬間だった。
来年は、20年目の母の看取りの時。
「お母さん。書くからね。見ていてください」