マンダラエンデイングノート~「私の終活編・ツナグ」お墓(納骨)
2017-09-10
マンダラエンデイングノートの
5.お墓(納骨)には
Q.お墓は欲しいですか?
Q.誰がお墓参りに来てくれたら嬉しいですか?
Q.どんなスタイルのお墓がいいですか?
という質問があります。
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17年前、母が逝きました。
WEB日記に残されたその数日の記録や心のさまが甦ります。
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お墓は欲しいですか?
2004年8月28日(土) 死んだあとのこと
今日は、お寺のご住職に来ていただいて、5七日のおまいりをしました。
四十九日のこと、お墓への納骨のことなどを打ち合わせて、お食事もともにいただいて、色々なお話をしました。
お墓のこと、我が家には仏さまはいないので、仏壇もないし、お墓の用意ももちろんしていません。
お墓は必要でしょうか?
これから子供や孫の代まではよくても、代々進めば、世話をかけることになるだけではないでしょうか?
永代供養といっても、年月がくれば産廃として処理されてしまう。
ならば、一人墓や、散骨とかいう手もあるのでは・・・。
ただ世間体や、バチがあたるとかいうのではなく、本当に自分自身がどうしてほしいかは何かに書いておく必要はあるようです。
どういう、形がいいのでしょうね。
オーストラリアでは個人の骨は、土に返し、その地に木の苗を植えて
1年ごとにその成長を見守る。
そういうのっていいな・・・
新しい命を育てるわけですから。これぞ、転生かもしれませんね。
アメリカでは、骨はパウダーにしてしまうそうです。
カナダでは、散骨を自然葬といって空から撒いたり、海にまいてしまう。
日本でも、そういうビジネスはあって、そのキャッチフレーズ
散骨(自然葬)、亡骸は大地に、御霊は天に、思い出は遺族の心の中に
なるほどね・・・。
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父の眠る奈良のお墓におまいりをする。
山の上にあって見晴らしのいいのはいいのだけれど、歩いて上ると、大変に骨が折れる。
母は、一人では、もう数年も前からお参りすることはできなかった。
もうすぐ、母もこのお墓に眠るのだ。
父にもうすぐ連れてくるからね。
すこし呆けちゃったけどよろしくね。
大丈夫かな。病に倒れて二年間、父のことは全く言わなくなった。
母の中には存在しなかった。
よく父に振り回されていた。
父の母に対する横暴さに、娘の私が反発し同情していた。
それなのに、父の亡くなった直後の落胆は生やさしいものではなかった。
その後も、弔うことにあれほど熱心だったのに。
夫婦という関係は一体何なんだろうと思った。
夫婦のことは、その夫婦にしかわからない。
たとえ父であり母であったとしても・・・。
山の端に夕陽がかかって、まばゆく川面を染めていた。
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あれから、十数年経った今でも、どの項目よりも、毎回、微妙に心が揺れて歯切れが悪くなる。
そろそろ答えを出しておいた方がいい頃です。マンダラエンディングノートを書くうちにファシリテートをするうちに一転、二転、三転しています。
こうしているうちにまとまってくるようです。
一回、書いて終わりという訳では決してありませんね。
でも、まずは書き始めて、数年かけていいのでは?
誰がお墓参りに来てくれたら嬉しいですか?
2017-09-25
お彼岸のお墓まいり、やりたいことを優先していたら今日になってしまいました。
昨日、習って作った和菓子をお供えして、正信偈さんをあげました。
すっきりしました。
父母の眠る大和の美しく彼岸より来てアキアカネ舞う
2004年9月25日(土) お墓へ母を納骨する
有給休暇をもらって、今日は納骨。
娘の運転で、奈良のお墓に納骨のために出かける。
よく晴れて爽やか秋空を高速道路を走っていると、まるで手が届きそうな低空をちぎれ雲が早い速度で流れて行く。
墓所に着くと、すでに石屋さんが来ていて、蓋を開けて待っていてくれていた。
中を覗くと、16年前の父の骨袋が見えた。
さらしの袋は、数年で朽ちる。
骨も何十年かかけて朽ちて土に還って行く。
土に還るのが一番いい。
お墓を洗ってあげていると、弟たちが母の骨とともにやってきた。
そしてお寺の住職さんや妹たちもやってきた。
母の骨もさらしの袋に移して、父の側に納めた。
二つならんでいる骨袋を見ていたら不思議な気がした。
夫婦って、仲良くっても、どんなに仲が悪くても、最期はこうして一緒になるのだと・・・。
お互いの心がどこにあろうとも、一緒の墓に入るということはこういうことなんだ。
なんだか心が痛くなった。
そして深い悲しみを覚えた。
ご住職によって、納骨法要は丁寧に心を込めて行われた。
ご住職は以前、仏教系の高校の宗教の先生。今回もきちんとプリントをご用意下さいました。
三奉請に始まり、納骨表白、「仏説阿弥陀経」をみんなで唱えてお勤めしお焼香をした。
ご住職は、仏さまは、亡き父も母も、決して石の下にはおられない。
皆さんの側にいますよと言われます。
確かにそうかもしれない。
「さよなら」って思わなかった。
確かにお別れしたのだけれど、「さよなら」って言えないままでいる。
側にいるっても思えないけど、この石の下にいるとはどうしても思えない。
側にいると思えるなら、墓は要らないし、墓参りの必要もない。
お墓ってなんなんだろう。
どこにいるのだろうか解らないから、骨のあるここにおまいりに来るのだろう。また、来るね。おとうさん、おかあさん。来たいと思ったらいつでも来るね。
少し車で走って、弟が予約したお店で昼食を皆でいただいて、それぞれ別れてきた。
今日、空は秋なのに、大阪の気温は31℃と真夏日だった。
いつまでも夏服のまま。
秋はいきなり本番に入るのでしょうか。
暑さ寒さも彼岸までとは昔の人が言ったこと。
もう昔は昔。今は今なのでしょうか。
どんなスタイルのお墓がいいですか?
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