一枚の自分史:私は、何故遍路するのか・・・。
2004年3月、54歳、この年より、春のお彼岸には行き当たりばったりな四国88カ所札所巡り、区切り打ちを始めました。最初の一歩は、就職する直前の娘と一緒に、63番吉祥寺から歩き始めました。
もう、覚えていませんが、不思議なお寺でした。桜が満開で、そこにいるだけで嬉しくてはしゃいでいる私たちを、単独で廻っていた年輩のお遍路さんが笑って見ておられました。バスで団体で来られる方とは一体感が無いのですが、歩き遍路同士は何となく言葉をかわさずしても同志としての一体感がありました。
それからは、とにかく自分の足で廻りたいと思っています。だからといって、ツアーがよくないとか、車で廻ることをよくないと思っているわけではありません。どういう方法であれ、その人のやり方でやればよしです。
この朝も気ままに発ち、行き当たりばっちりでした。その日の行程は7~8kmと大した距離ではありませんでしたが、歩き遍路の大変さを初回にして実感したものでした。
その後、中国からの留学生と打った他は、ずっと一人・・・、いや、同行二人でした。
一人の歩き旅はいつも辛くて、それ故に、お接待をいただいたり、心をかけていただけることが有難く嬉しい。
15年以上も区切り打ちしているのに、コンプリートできているのは阿波国だけで、ゴールは遥か彼方です。
定年退職したら、日程を取って廻る、それまでは少しずつ歩を進めておこうと思っていたにもかかわらず、フリーになって仕事量は会社時代を上回り、思うようにお遍路できませんでした。
昨年、仕事を整理して、さあ、これからと思っていたらコロナショックで、動けなくなりました。
何故遍路するのか?
お遍路さんに向かって一番してはいけない質問だそうです。でも、一番問い続けている質問であり、自身が一番答えたい質問でもあると思います。
問わず語りに語ってしまいます。
それは、修業なのか?現実逃避なのか?癒しを求めてなのか?チャレンジなのか?
そのどれでもでありました。
10年ぐらいたった時に、何故お遍路するのかを問いかけたときに気付きました。
一番一番、プロセスゴールを積み重ねて、最終ゴールを達成する。目標達成そのものだったと。
目標達成が楽しいから、時々、高次な感動が欲しいからだったのです。
お遍路を始めた動機は不順でした。
その前年の大失恋した大学生の娘とのセンチメンタルジャーニー。その帰り道を今治から自転車でしまなみ海道を渡った時でした。思いがけなくお接待を受けました。
「おかあさん、人から情けを受けるのって、こんなに嬉しいものなんやね」
とそれは嬉しそうでした。それが、きっかけでお遍路を始めたのです。
人の情けをいただけることは心地よいことでした。実は、それは今でも変わりません。むしろ、今の方が心が動きます。年々、歳を重ねて歩くことが辛くなってからは、喜びは大きくなっています。そのおかげで何とか歩けています。
お接待とは受けるだけではなくてするものでもあるのです。お接待を返しながら遍路をする。わたしのするお接待はお話を聴くことです。これまで、たくさんの想いをお聴きしました。
いつも、自分も含めてですが、歩き遍路さんのセカンドライフにあって、自分を探す姿が愛おしく見えてこころに染み入るものがあります。
帰阪しても、しばらくは、体はここにあっても、魂は88番に向かって歩き続けている感覚がありました。
すぐにでも行きたいけれど、お大師さんからお声がかかるのはいつのことやら。この歳になって、後どれぐらい歩けるのか分かりません。だからこそ、無理をせずにコツコツ、コツコツ、何とか結願したいと思います。
少ないでしょうが、今年も春のお遍路さんは歩き始めておられることでしょう。四国も急激な気温の昇降でお遍路さんの体調が狂いませんように。どうかお気をつけて。
お遍路はやめられない。
この季節は、遍路道に落ち椿、山吹の花や山桜の花びらが夥しい。菜の花畑の前を歩くお遍路さんの杖についている鈴の音がちりんちりんとひびく。麦秋の畑が続いて、あるはずのないところでうどんやさんから出汁が匂ってくる。道は間違う、いつも絶対に。永遠に着かないような気がする。動物の鳴き声に怯えながら人が恋しい。もう歩けないギリギリでたどりついた遍路宿の温かさ。一人の宿はうら寂しい。帰宅するとホッとする。もっと滞在したかったのにとやさぐれる。
だから、お遍路はやめられない。
私のお遍路は遊び遍路でお花見遍路。なので、寄り道だらけですが・・・。