マンダラエンデイングノート~「私の人生編・明日への覚悟」病気になった時
2017-08-08
2.病気・介護状態になったら」について
自分の老後、最期を考えたとき
親の介護、看取りについて振り返りが始まりました。
それらを書いていきたいと思います。マンダラエンデイングノートの病気・介護を取り上げたページにある問い
病気になったとき誰に看てほしいほしいですか?
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17年前、母が逝きました。
WEB日記に残された、その数日の記録や心のさまが甦ります。
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病気になったとき誰に面倒をみてほしいですか?
2004年8月7日(土) 心は風の中
ふた七日。弟の家にお寺のご住職が来ていただけるとのことで、でかけてきました。
母の遺骨が二箱並んで、遺影が飾られています。
どうしても現実感がわかなくて、感情も動かなかった。
お盆が終るまでは、ひたすら悲しんでいよう。でも、それからは、普通に戻そうと目標を定めているし、そのために行動することに決めた。
そのことによって立ち直ろうとしている。
それぞれの悲しみ方がある。
うなだれて悲しみに沈むだけが愛情じゃない。
父の時と一緒だと思った。
葬儀への責任感から涙をこぼす余裕もなかった。
私だって、泣いていたかった。
悲しみに閉じこもっていたかった。
状況が許さなかった。
母を最期まで看取れたことだけで悔いはないと
そう思うには、あまりにも現実を見過ぎたし、それを背負ってしまった。
悔い出したら、止め処はない。
病に倒れた6ヶ月間、側について、母の呆けを間の当たりにした。
一人にしておいたことをどれだけ悔やんだだろう。そして、呆けた母に辟易としたことだろう。優しくなれないことを責め、逃げている自分を責めた。
最もひどいことをしたのは、何故私の所へ行ったらだめなのかとすがる母親を、毎日のように偉そうに説得した。
実家の仏壇を長男がいるのに預かれない。母の葬式を我が家からは出すことはできない。ひどいことを言ったものです。正論をふりかざし、母の希望を断った。
あんまり辛いから呆けるしかなかったよね…。
私は辛さをを断ち切る努力をしようと前向きになっだけじゃない。
私は強くなんてない。
私がどれだけ危うい状態をギリギリで保っているかなんて誰にも解らない。
そんな葛藤を、救ってくださったのは、ご住職を囲んでの短い時間だった。ご住職はしばらくお話をしてくださった。
告別式では、孫たちのお手紙から、随分と学ばせてくださったと繰り返しおっしゃった。息子が祖母とのお別れに送った。
「母を生んでくれてありがとう」に感動した。
弟も、あの場で、あのように自分の感情の表現をできること、さすがに孫の中で一番の年長者だと・・。
その言葉が、私への一番の慰めだった。どれだけ救われたか知れない。
そのとおりだと思う。
祖母への深い愛情と母親への思いやりの溢れた言葉だった。
心が和んだ。
こうしているしかないのだからと・・・。
誰に看てもらいたいか?
まだ、母が母だったときに話し合っておけばよかったと、後でどれほど思ってもどうしようもない。
ある日
母を見舞った帰り、カーラジオでは、日本の抒情歌という番組を流していた。
「シクラメンの香り」に寄せるリスナーからの手紙は、亡くなった息子が好きだった歌ですという母からのものだった。
また、涙が溢れた。
私は少なくても、こんな悲痛な悲しみを母へは与えなかった。
親より先に死ななくてよかった。ちゃんと順番を守れたこと。
そうしたいと思ってもできないこともある。
私はずっと健康だった心配をかけないできたことだけ最高の親孝行してきたのだ。そうできてよかった。
本当によかったと、車窓から風が吹き込んできて涙を乾かしてくれた。
サッカーが中国を下したと、ラジオが報じていた。
娘が歓声をあげていた。
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