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一枚の自分史:かわいい子には旅を!

2003年(平成15年)53歳 
桜が開花したというニュースを聞いて高知にいくことに。
竜馬の足跡とよさこい踊りも観たいよね・・・。

当時大学4年の22歳、落ち込んでいる娘の感傷旅行に。
春のお彼岸に青春18きっぷで家を飛び出しました。

1日目、私たちは高知に向かっていました。
瀬戸内ライナーで海を渡っている時になって
時刻表をどう見てもその日のうちには高知には行けないと発覚。
急遽、行き先を変えて道後を目指すのですが・・・
焦って変な駅で降りたり、乗る電車を間違えてはぐれたり
道後どころか、伊予北条までしか行けなかったのです。

伊予北条にある宿に2泊することになったのですが
そこは学生の旅人の宿、お遍路の人達の常宿になっていました。
海岸ではしゃぐ声、同じ世代と楽しそうに話すあの娘の笑い声を
久しぶりに聞きました。

1月、卒業を前に結婚を約束していた彼に裏切られて
拒食症を病み、大切な卒業試験もしくじり留年。
3月、超氷河期で苦労して勝ち取った内定も手離すことになって
いろいろと梯子が外されて、笑えなくなっていました。

高校時代からずっと武道の部活動漬け
大学では全日準優勝の少林寺拳法の拳士。
部活に明け暮れて、自由な学生の旅はしたことがない。

この連休に、母親としてしてやれることはないのか・・・
ならば、自分が学生時代に覚えた気儘な旅の喜びを教えてやろう。

久しぶりにあの子が笑っていました。
上出来です!

3日目がもっと凄い!
しまなみ海道をママチャリ3段変速で
尾道目指して3時間走りました。
風を切って颯爽と走ったと言いたいのですが
橋の前後にある高低差に泣かされます。
あの子はマウンテンバイクでどんどん飛ばします。

下りをスピードを出して、その勢いで上がってしまいたい。
そのまま行きたいところ、ちょうど降り切ったところで
おばあちゃんが、笑いかけてくださってる。
仕方なくブレーキをかけたら
「手を出して」
なんとエプロンのポケットから飴玉を出して、ほらと言ってくださる。
「先に行ったのは、あんたのお連れさんか?」
「はい。娘です」
そんならと言って反対のポケットから飴玉を出して、また下さった。

嬉しくて勢いがついた。
すごいスピードで上がったらしい。
娘があきれて
「どうしたん?バテてたんちゃうの?」
「いま、あそこでおばあちゃんいてはったやろ。飴くれはったよ。あんたの分も!」

どうやら、おばあちゃんは私たちが自転車遍路していると思われたようです。
四国のお接待の文化のことを説明すると
「おかあさん、人から情けを受けるのってこんなに嬉しいんやなぁ・・・」
飴を見詰めて優しい表情で微笑んでいる。

人の情けが、身に染みたんやね!

連れて出てよかった。
明日からは筋肉痛だろうけれど・・・。

四国は、やはりお遍路するところです。
感傷旅行をお遍路の四国にしてよかった。

その次の春から、動機が不純ですが
「人の情け」が欲しくて歩き遍路区切り打ちを始めました。

1回目は娘も一緒です。親子遍路はとにかく歩きながら話す。
ずーっとなんか喋っていました。貴重な時間でした。

娘は就職超氷河期に2年にわたって就職活動をすることになっても
元の逞しさを取り戻し、不利な立場でもしっかりと内定を受け
その頑張りは職場でも発揮できたようです。

秋からは司馬遼太郎さんの本を片手に一人旅に出るようになりました。
一人でかの宿にも立ち寄り、新たな友を増やしていました。

旅は、人を育てます。
ロストジェネレーションと呼ばれる世代にあって
どっこいしぶとい!

今は仕事も子育てもと頑張っています。

かわいい子には旅をさせろ
昔の人の教えはよく言ったものです。

私はと言えば、今も一人で春のお彼岸の歩き遍路を続けています。

あれから19年も経ったのに、88ケ所のうちまだ33カ所残しています。
この2年はコロナショックでお遍路できていません。
早くしないと脚力、体力、気力、経済力が怪しくなっています。

人は、流離う・・・
流離ってさすらって、初めて平安を得る。

どなたかご一緒にお遍路しませんか?

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