一枚の自分史:妹と弟のご飯は私が食べさせる
この写真はどこの現場の飯場でしょう・・・
幼かった頃の我が家のダイニングキッチンです。
私の育った家は、このころは戦後10年を経て、次々と建設される個人宅や旅館などに風呂の窯を設置する窯付きという家業をしていて、数人を雇っていました。
そのころは、その人たちの三度の食事は雇い主が提供していました。
大きなお釜ややかんが後ろに写っていますね。
ここには写っていませんが、たぶん、横には4歳下の弟もいたはずです。
大人が食事をした大きな丼鉢の中で、私も妹もモリモリ食べていますね。中々にたくましく育っています。
誰がこんな写真を撮ったのでしょうか?
昭和30年初頭の我が家にはこういうスナップがあるのが不思議です。
我が家にカメラがやってきたのは、私が4年生の時ですから、誰かカメラマニアの人が身近にいたのでしょう。
母は朝から晩まで商売に追われていて
幼い子ども3人のことに構っていられなくて
食事もお店の人たちと一緒に済ませる毎日でした。
この当時から数年したらすでに
大勢の食事の買い物をする役目を果たしていました。
このころから
母を援けるために
「妹と弟のご飯は私が食べさせる」
私は幼児決断したらしいのです。
それから
ウン十年つい数年前まで
それをやり続けてきた人生だったらしい。
自分の習慣で困ったことの一つに
「ご飯を作り過ぎる」があります。
適度な量は2人分なのに
気が付けば4人分作ってしまう。
そしてそのことが食べ過ぎを招いてしまう。
その原因がどこにあるかを心理学的に探ったとき
「妹と弟のご飯は私が食べさせる」にあったのです。
夜もすっかり更けて
裸電球の灯る居間で
丸いちゃぶ台の周りに
放射線状にうたた寝ている幼い姉弟たち
慌てて駆け込んだ母
そのちゃぶ台の上には夕食を食べた後のお茶碗が・・・
「ねえちゃんが食べさせてくれたんや・・・」
「ごめんな・・・」そう呟いている母の疲れた顔
そのイメージが蘇ったのです。
「そうか、わたし、ずっと妹弟に今でも
ご飯食べさせないといけないと思っていたんだ・・・」
何しろその妹弟はすでに60歳を過ぎている
大きな大人であり、その必要はすでにない。
それに気付いたとき
作る量はかなり適量に近付きました。
が・・・
食べ過ぎる習慣は収まらず・・・
困ったものです。(笑)
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一枚の写真からの自分史を語る一コマでした。
こうして何枚かの写真と物語を重ねていくと
それが自分の物語りになりますよね。
楽しみながら
空いた時間に積み重ねていけたらいいなと
思っています。
この世は愛を育てる愛の学校です。
絶賛実習中です!(笑)
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