のりっきいの自分史C2:アメリカでの私たちの住宅事情
この約3ヶ月間のベロナでの経験がこれから私たちの引っ越そうとしているイサカと言う街で、どのような展開をして行ったと思いますか。
イサカと言う街はコーネル大学やイサカ大学のあるカレッジ・タウンです。実にコスモポリタンタウンとも言われています。
ココは、上から見るといくつかの湖が、手の指のように見えることからフィンガーレイク・リージョンと言われていて、私たちが1ヵ月半の仮の宿として借りたモーテルも、その一つのカユガ・レイクと言う所の近くでした。ここには湖だけでなくたくさんの滝があるのでも有名です。
彼の両親の家からやっと出て、イサカと言う街に引っ越しをしたものの、住むところも仕事もなくまずは、子供達の教育レベルがよく、環境の良い所に住みたいと考えた私達は、レイクの近くにあるモーテル、ワンベッドルームの部屋に2つのツインベッドを置き、私達家族5人の仮の宿として今から約1ヵ月半、ここで過ごす事になります。
下の子はまだ2歳そこそこなのそ彼が仕事を見つけに回っている間、私は、子供達の面倒をみながら、新聞の賃貸しアパートや古い家を新聞で探すという生活が始まるのです。
アメリカに来て気づいた事は、日本ではバブル景気に入りかけた1986年頃から1991年頃の日本の住宅ローンの利息は確か変動金利の基準金利が8.5%ほどだったと思うのですが、それに比べアメリカの変動金利を使ったローンの利息は最初の1年が頭金のパーセンテージにもよりますが、約8.2~8.5%翌年から14.5%~14.8%の金利という信じられない、ビックリして目が飛び出るような高い利息で驚いたものです。
ローンをすることに初めから乗り気じゃなかった私だったけれど、結局は頭金を何とか都合してローンを返していったほうが、毎月の支払いはもう少し楽になるということで結局家を買うことになりました。
ところがところが、なんとアメリカという国は、銀行からローンを組もうとすると、まぁ、当然借りる側の信用度っていうのが必要になりますよね、その物差しというのがアメリカではクレジットカードだったんです。
そんなことを知らない私と主人は(彼アメリカ人なんですけどね)、やっと3 LDKの小さな家をイサカの街から車で10分ほどのところにある、チューマンズバーグ(白人が人口98%)言う小さな村で見つけました。
値段も何とかなる、場所も良い、環境も良い、学校の教育制度も充実していると、心はウキウキ、私と主人は不動産屋に購入の意思を伝えました。
まぁ、そこまでは何の問題もなかったような感じなんですけれども、さてさて銀行のローン係(貸付係って日本では言うんですかね)で、この土地と建物の所在地を話して、変動金利で頭金10%~15%でローンを申し込みたいということを同僚の係りの人に話してみると「収入を証明するもの」それから「2〜3のクレジットカードのスコア」を聞かれました。
長年日本に住んでいた主人にはクレジットカードがなく、当然、あの当時の日本人の私にはクレジットカードというものを使うこともなかったのです。アメリカの銀行はクレジットカードをがないとお金を貸してくれないという現実が私たちの前に立ちはだかりました。
ここで、当然「どうしてアパート借りなかったの、買うとかなんとか考えなくてさぁ」って、思いますよね。
ごもっともごもっとも。
そうなんですよ、私もアパートを借りるつもりだったんですけれど、なんとアメリカのアパートはあの頃の2 LDKというと酷いアパートで60,000円、マァマァで80,000円ほどして、とても毎月の支払いなんてできやしなかったんですよ。常識的に言ってね。
そういうふうに計算すると、家を買って毎月のローンを返済していったほうが(当然家のサイズとか親の金額にもよりますけれども) 月々の支払い金額が安かったという現実があったので、家を買うと言う結果になったんです。
ところがやれ家が見つかったとしても、先に言ったように私たちにはクレジットカードがない、それに加えて私たちが見つけた家が地下室のあるところにトレーラーを載せていると言う感じの家だったので銀行側もなかなかローンの承諾をしてくれませんでした。
たまたまローンオフィサーが私たちが買う家の隣に住んでいた人だったので、彼女の力と、頭金を10%のところを30%支払うと言うことで何とかローンを借りることができました。
1986、87年頃、日本が高度成長の最中でバブル経済に入ろうとしているとき、アメリカはとても不況経済が蔓延してました。
その頃のアメリカのローンに対しての利息と言うのはフィックス・レイトで
8.7~8.9%、アジャスタブル・レイトだと、最初の1年だけは4.75% 、2年目からは14.5%に跳ね上がるというとても危険なローンのシステムでした。
とはいっても8.7~8.5%の利息を払うほどの月々の収入もなく、フィックス・レイトは諦めて、1年間だけ安いアジャスタブルレイトを選びました。
今、振り返ってみると日本が景気の良い時代に入るときにアメリカに移ったことを後悔してないと言ったら少し嘘になるかもしれません。
だって、日本の人たちが経験したあのバブル経済と言うものをせめて1年だけでも経験したかったと思いますね〜。あ〜、羨ましい!(笑)
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