一枚の自分史:山日記:リベンジの山、宮之浦岳
2011年(平成23年)5月
屋久島宮之浦岳 (標高1936m)の頂上にいます。
登山ガイドさんに宿からひらってもらったのが3時半で真っ暗でした。
ようやく明るみ始めた淀川登山口を5時前に出発して
頂上に着いたのが11時過ぎでした。
宮之浦岳への挑戦して3度目、やっと頂上に立てました。
一度目は45年前、積み立てまでしていた屋久島遠征計画は
結婚が決まって、親からの反対で断念しました。
前年の9月、定年退職しても、そのままフリーで働き続けていました。
ご褒美もあげていない、そのことに気付いて、急遽、一人で屋久島に・・・。
その時は、雨に降られて登山は禁止となり
雨の中、川のように流れる登山道を縄文杉まで行くのがやっとでした。
そして、3度目のチャレンジでした。
この旅は、ひと月で35日雨が降る屋久島で4日間のピーカン!
晴れ女の面目躍如でした。
登山ガイドさんや観光協会の人にはお世話になりました。
この日は、20代の女性二人とのカップリングでした。
当初は、60代では足が揃わないだろうと成立が危ぶまれて
あわや、ガイドさんがいなくて登山できないという状況もありましたが
登山歴や昨年も来ているということで叶います。
精一ぱい、無理して歩きましたとも・・・。
20代には負けていませんでした。
頂上に立って、大きなマル!してますよね。
やっと、ここに立てた!
ピーカンで北に鹿児島の薩摩半島・大隅半島が
南にトカラ列島(十島村)が望める360度の展望でした。
海よ~ 空よ~ わたしはここにいます。
往復16km、12時間の行程でした。
宿に戻ると、その前の海にスーパームーンが上がったところでした。
その輝きがすべての音をかき消して
深く充たされている自身を煌煌と照らし出していました。
昨年、屋久島に一人降り立った時からずっと感じた高揚感・・・
雨中を歩いても、歩いても疲れることがない。
何時まででも元気で、人と出会い、飲み、笑い、話せる。
帰阪しても、昨日より、今日が紙一枚でもよくなっているように思えました。
さすがにパワーポイントと呼ばれる島のパワーです。
この時も惜しみなく受け取って、12時間、山を登っても全く平気!
天気もご褒美なら、その元気もご褒美でした。
こんなに元気でいられてありがとう~。
時は、第2次安倍内閣が成立した年
そして今年はコロナ禍の渦中で長期政権が終焉した年です。
時代もあの頃には戻れない・・・。
そして体力も気力も・・・。
北海道・利尻岳から始まり、宮之浦岳は、最南端で100番目の百名山です。
この歳になって、もう100名山全山制覇は望めない。
ただ、最初と最後は抑えることができました。よしよしとします。
そうそう
終活という言葉が流布された年でもありました。
何だか因縁感じますねぇ~。