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一枚の自分史:説教部屋のこと憶えていますか?

1997年ごろかな~と、40代も半ばを過ぎる頃、私は総務部で採用や社員研修、若い社員たちの、特に女子寮生のカウンセラーのような仕事もするようになっていました。

地方から出てきた女子寮生たちにとって寮母さんという最後の砦として、どんな場合でも優しい存在でいてもらうために、私は厳しく接する役に徹し、お小言をいう役を引き受けていた。

女子寮の談話室で、覚えていないが、多分寮生たちが誕生会をやっていたところに闖入していた。談話室は寮生の間では説教部屋と呼ばれていた。
私から、談話室で待っていなさいというのはお叱りを受けることと理解していたようです。

いかに彼女たちのためを思ってすることであっても、厳しいことばかり言っていても人はついてこない。普段から機会があればできるだけ寄り添うように心がけていた。この時も自腹を切ってケーキを買って押しかけていたように覚えている。
大抵は、気持ちよく受け入れてくれて、私もそれなりにガールズトークを楽しんだものでした。

その頃は、堺のO-057や和歌山のカレー事件など近場で起こっていただけに不穏な日々を過ごしていた。
大手の企業ではすでにバブルは崩壊していた。バブルの崩壊が始まるには大手企業に2、3年の遅れをとっていた。その間、求職者にとっての就職超氷河期は中堅採用側にとっては大きなチャンスだった。その数年は人手は必要だったので採用は休むことなく続けていた。手のかかる新人たちが育って手がかからなくなると、また次がやってきた。

家庭においても、長男は超氷河期で苦しい就職活動をしていたし、長女は受験生だった。我が子に手をかけてやれないジレンマは常に付きまとっていました。

女子寮生たちは、基本的にはみんな純朴でいい子たちばかりだった。いつも笑っているけれど、どこか心に何かを抱えていた。 寮生活して、交代番の仕事をしながら定時制の短大に通うわけだから苦学生と言えた。
以前は、学びながら働くという意志をしっかり持って地方から出てきた。
切り詰めた生活の中から、子沢山の実家に仕送りをしている寮生もいた。
3年間、休むことなく仕事も学業もしっかりと修めて、保母資格を取って転職していった。

都会と地方の差が縮まると、そんな苦労人は少なくなり、 ただ都会への憧れや、親からの束縛から逃れるためにやってくるようになった。
この頃から、寮生のとんでもない問題行動が寮母さんを泣かすようになっていた。

冷たく無機質な造りで照明も暗い寮。彼女たちは寂しい。生活が荒れる、寂しいから甘い誘惑に負けてしまう。お菓子の食べ過ぎで一年で肥満になるケースがよくあった。ある寮生はダイエット商法に引っかかりサラ金から借金させられていた。サラ金店舗に同行させて全返済したことがある。強面が出てきて返済金を突き返された。怖い思いをしながら交渉したこともある。
通信教育の詐欺にあった寮生とクーリングオフに走ったこともある。
一番厄介だったのが、寂しさにつけ込んで、男子禁制の女子寮に侵入して来る不埒な輩が出てくる。それも社内の先輩だったりするから許せない。会社では女子は厳しく処分されても、男子社員は叱責ぐらいで終る。私は見えないものと闘っていた。
説教部屋で「手術台に登るのはあなたで、傷つくのはあなただから」とどれだけ訴えただろう。
そして、極めつけは、男子禁制の女子寮の自室に1ヶ月も故郷から追いかけてきた同級生だった男子を囲って暮らしているという事件の発生だった。連れて帰ってもらうために親が呼び寄せられた。大勢の寮生のいる前で父親は激しく娘を折檻した。寮生たちは怯えて私に止めてと泣きついてくる。私だって怖かった。とっさに叫んでいました。
「おとうさん、お気持ちはわかります。私もそうしたと思います。でもここではやめてください。他でやってください」
子供を宿していた。親からの希望だからと堕胎に付き添うように言われたが断った。それは私の仕事では決してないし、それは違うと思ったからでした。ここでもやっぱり闘っていました。

いやいや、なかなか大変な会社人生を送っていたものです。もちろん、これらは30年の仕事のほんの一部でしたから。

在社中は心理カウンセラーでもキャリアカウンセラーとしての資格も持ってはいなかったけれど、長年、カウンセラーとして十分に頑張っていたように思う。今から思えば、懐かしい談話室はカウンセリングルームだった。

後年、キャリアカウンセラーの資格を取り、心理カウンセラーとしての資格も取得しました。30年近い実践の経験が先にあってこその定年後の仕事でした。あの子達に育ててもらっていたようです。

寮生たちの名誉のために言っておきます。これは、全く一部のことで、ほとんどの人たちはどこに出しても恥ずかしくないぐらい人として立派に成長していきました。かわいい娘は早く独り立ちさせよ!です。

今なら、かっての寮生たちと、あの頃のこと、説教部屋でのことや、 あれからどんな人生を送っていたのか、大人同士で笑って話すことができるかもしれません。
どの人たちもどうか幸せな人生を送っていてくれてたらと心から願っています。

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