見出し画像

一枚の自分史:おにぎりの味付けはちょっとしょっぱかったかもしれない。

1968年18歳の夏、知多半島の夏の合宿での一場面。
部活の仲間の中にいて
夕食で残ったご飯を
夜中にお腹がすく部員のためにおにぎりを握っていました。

みんな真っ黒けによく日焼けをしていて、元気そうですね。
おや、ここには同級生だけではなく先輩も二人入っています。

大学生になって初めての夏休み。
安保闘争や大学紛争や反戦運動が激しくなるすぐ手前の頃だったかな?

平和なよき世の中を作るために自分たちができることを
みんなが探していました。
なんとなく明日を信じていた時代だったように思います。
明日は確実に来る。
そして、根拠がなくても
明日の方が少しでもいい日のような気がしていた。
疑うことのない毎日でした

地震も津波もそしてコロナもなかった。
人生観がかわるほどの体験をすることもない。
世間知らずなままでした。

日常のちょっとした友人の言葉にも迷い
揺さぶられたりする日々に生きていました。

私たちの心の中には多分
今日の晩ごはんは美味しかったなぁとか
海が綺麗やったなーとか、明日はどこまで行こうかな~とか
こんなに日焼けして戻らへんかったら嫌やなぁとか
後ろから手を出している男子は女子のことが気になるんやな~とか
たわいのないことばかりが心を占めていました。

先輩が声をかけてくれているのに
後輩のことをこうして気にしてくれているのに
このときは、私はここではない他のところに気持ちがいっていたことを
かすかに思い出しました。

思うように人の中に入っていけない自分を感じていました。
大好きな先輩達の中にどんどん入っていく同級生が羨ましくって
ついつい劣っている自分を感じてひねくれていました。

若さ故のことでした。

若き日にたっぷりある時間をどう埋めたらいいかわからない。
永久に続く時間を持て余すそんな年頃でした。

愕然とするぐらい持ち時間が違う!
残り時間を意識しながら生きている今とは比べ物にならない。

写真の中にいる先輩は笑っています。
知らせを聞いたそのとき、窓の外に彩雲を見付けた。

後輩たちへのフィードバックは私がします。
だから、先輩はわたしにフィードバックをくださいという
お願いをしたとき、おっ!という顔をされた。
憶えていてくれたのですね。
大丈夫、それでいいと知らせてくれたそんな気がしました。
彩雲にして見せてくれてたような気がしました。
先輩がなくなってもう5年。
2019年までと今では違う世に生きている。

残るのは想い出という過去になってしまったけれど
自分の中にしまわれている過去は
未来がどうあろうと損なわれることはない。

その思い出を掌に載せてあたためて
言葉の舟に乗せよう。
その舟のたてる水音に耳を澄まそう。

小川洋子さんの「人質の朗読会」の一節です。

まさに、「100人と書く一枚の自分史」プロジェクト
は、多くの人と書いて、その水音を聴くことをしている。
小川さんの言葉をそのままをなぞっています。

あなたのたてる水音に耳を澄まして聴いています。

あの日のわたしは居場所を探していたのです。
合宿のあいだ見付けられなかった。 
過ぎた日の遠い悲しみを
そうそう、思い出しました。

おにぎりの味付けはちょっとしょっぱかったかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?