一枚の自分史:誰かが叱ってくれるのを待っていた?
二〇一六年、五十六歳の冬が始まるころ
シニア大学の同窓会、といっても、九月に卒業したところ。
なのに、もうみんなお互いに逢いたくなっていた。
私が幹事をして名残の紅葉の京都を訪ね、美味しい和食の店で楽しんだ。
シニア大学の卒業は出席日数が危なくて、一日オーバーでギリギリセーフで修業。
修学旅行にも参加することができた。
級友たちには日数計算をしてもらったり、いろいろと心配をかけた。
会社時代に、定年退職したら
また大学で学びなおしたいという思いを抱いていた。
六十五歳で通い始めたけれど、明らかに時期尚早。
仕事に追われる毎日で、思うように出席ができなかった。
同時に、お寺でのディープな心理学の学びも併行してやっていた頃だった。
当時、私は、仕事がなくなることが怖かった。
自己重要感を仕事をすることで満たしていた。
その頃、新海誠監督による長編アニメーション映画「君の名は」が
空前のヒットをしていた。
「わたしの名は、ふじわらゆうこ」私は誰になりたいのか?
役割りを生きる日々にあって自分のアイデンティティに苦しんでいた。
そんな中で、シニア大学で文学・歴史を学ぶこと
シニアのお仲間と居ることが優しい時間となっていた。
その日、人生の先輩たちから、自分を大切にしなさいと叱られていた。
人を癒すあなたが、癒されていないってダメだろうと叱ってくれる人
ほらみなさいと優しく微笑んで見てくれている人
今でも、書いていると、目頭が熱くなる。
そして大きなものに包まれている感覚になる。
たった一年の繋がりなのに、半年ぶりに会ったのに、すっかり見抜かれている。
見抜いている人たちのことをすごいと思う。
余程の仕事をしてきた人なんだろうと想像できる。
いきなり天下国家を語りだすし
この場では些末な想い出話は始まらない。
その1週間前に、高校のクラスのOB会があった。
そこでの仲間も、会社の社長だった人やら
弁護士として日本の事件を扱ってきた人もいるという錚々たるメンバー
でも、話題は盛り上がらず
ここまで走ってきたツケがまわってきているのか
もれなく、病気や手術したとか、これから入院するとかと
暗い話題ばかり付いてくる。
元気なのはひとりだけで株で大儲けしたという。
何にせよみんな自分事しか語っていない。
つい、比べてしまった。
私たちは今はそんな時期なのでしょうか。
私たち団塊の世代危うし!
その十歳あたりは歳上の人たち
その歳で文学や歴史を学ぼうなんて人たちは
やはり違っているのだろう。
私たちの世代は、十歳あたりの歳下の人からはどう見られているのだろうか。
私は、十歳あたりも歳上の人たちが好きだ。
だから、本当は付き合いたくないと思う。
何故なら、早晩、お別れが来る。
それを思うと悲しいから付き合いたくないと思うほど、それぐらい好きだ。
そして、本当に十歳あたりも歳下の人たちが好きだと思う。
なんとかお役に立てないかと思ってしまう。
同世代は、懐かしい流行りの歌が同じだったりとか
とてもいいのだけれども
何かどこか違和感がある。
何がそこにあるのだろうか。
謎だった。
十歳ほど年下の友人に、そんな叱られた話をしたら、喜んでいる。
「私たちが言ってもどうせ聞かない。誰かが叱ってくれたらいいのにって思っていた」と来た。
その時は、叱られたかったのかもしれない。
誰かが叱ってくれるのを待っていたのかもしれない。
そんなセカンドステージから、今はサードステージへと移っていくところにいる。
今でも、お仕事は時々いただいている。
仕事は、これまで頑張ってきたことへのご褒美だと思える。
今が一番幸せだと思える日々を過ごしている。
そろそろ、あの方たちに会いたい。
皆さん、お元気でおられたらと心から思っている。
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