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味に歴史あり…常夜燈の関西煮おでん

2021年4月5日
その頃は、新型コロナの変異種の爆発的な感染拡大が始まって、まん防が適用される寸前の大阪の街に出掛けることに、多少の罪悪感を抱きつつの「旨いもんコンシェルジェかずちゃんの偏愛自分史」との取材だった。
結果は、よう行っといたもんや!になり、3度目の緊急事態宣言が目前となってしまった。

お店は、中津にあった。お昼の開店と同時に入った。
創業75年、おでんの専門店の「常夜燈」さん。

おやっさん

かずちゃんは、おやっさんに「久しぶり~」と声をかけて入っていく。
おやっさんは昭和6年生まれの90歳。どう見てももっと若い。
そこに座りや~と、アクリル板で仕切られたカウンター席をすすめられた。
そこでいただくのは、昼定食。平成元年から800円で値上げしていない。
おでんを4品選んで紙に〇をつける。追加は一品100円やからと、かずちゃんに進められて、最初から6品をオーダーする。
おでんのことを関西では「かんとだき」と呼ぶ。
グツグツと煮えるいい音がして食欲がそそられる。
丁寧に仕込まれた具材がきれいに並んでいる。その中から欲しいものを選ぶのだが、どれも美味しそうで決められへん!こんな幸せなことあらへん~!

昼定食が並ぶまで、おやっさんは手を動かしながらようしゃべる。
先ずはおだし自慢!なんと言ってもおでんの決め手はだしや!ここでは鯛の頭や羅臼の昆布に白味噌を加えた秘伝の出汁を継ぎ足し継ぎ足しして守ってきた70年の味や!これぞ大阪ならではの味が嬉しい。

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他にも、なかなかな秘話も飛び出した。
創業は昭和20年11月10日。
終戦後、お初天神の宮司さんが「皆を元気づけるために何かできひんか?」と考えて、人を集めるんやったら、飲み食いがいいと境内で出店を集めたのが始まりで、先代が始めた店の中には灯篭があってそれを囲んで食べたので「とうろんや」とも呼ばれていたそうだ。
おやっさんは昭和25年から勤めていた電電公社を辞して転身。その後、先代から引き継いで、立ち退きになるまでは商売を続けたが、健康上のこともあり、「常夜燈」の名前を貸すことにして一時は退くのだが、再び、味を繋ぐために中津の自宅で再開して、先代の味を今に伝えている。

そんな話をきいているうちに、注文したおでんが出揃う。どれも味がしゅんでて美味しい。おやっさんは、ご飯はお代わりして、茶飯にして食べたらええでと言われる。お茶をかけて食べる奈良の茶飯とは違ごうて、おでんのだしをかけて茶色になるから茶飯やと教えてもらう。単にだしをかけただけでなく、粉かつおと海苔がかかっていて、美味しい。

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かずちゃんがお初天神の鳥居のそばにあった店では、おかみさん手作りの水羊羹が出たんだという。それを聞いておやっさんは、もうそれはやめたんや。合わんからな・・・、それに、よめさんは3年前に亡くなったんだ。
ここの社長はよめさんやったからいつも偉そうやったけど、死んだからね、もう水羊羹は出せんよ。

梅田界隈の古い店の名前が上がって、あのシューマイの老舗はチェーン店になったしねとか、あそこはおかみさんがなくなって息子になって味がね~とか、手際よくおでんの種を盛り合わせながら、楽し気にお話し相手もなさる。これも、この店の味なんだろう。

八女茶だそうだが、いいお茶を出してくれる。うっかり寛いでいたら、すかさずおやっさんから言われた。
「そろそろおいどあげてや~」
12時を廻る頃、お店の前にはサラリーマンたちの列が出てきていた。

お勘定をするとき、釣銭がないと、お客さん同士が両替をする。ここにはまだ昭和の大阪が息づいている。

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かずちゃんが、店を出て、並んでいる列を振り返りながら、近所やからランチしに来ただけではなくて、この店の歴史を知ってて味わってほしいなとポツンと言う。

おやっさん、元気でよかったわ~。
味を繋いでいく後継者もいると聞いて安心したが、お元気なうちに夜も来たいなと話しつつ店を後にする。
美味しかった。ご馳走さまでした。

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