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一枚の自分史:日々是好日・・・私は今やっとここにいる。

1975年1月、25歳
22〜25歳までお茶のお稽古をしていた森下先生のお宅の茶室で
初釜のお点前で、水差しを運んでいるところです。
母の縫った付け下げを着ている。その前年まで、初釜には振袖で行っていたので、ミセスになって初めての初釜でした。
お腹に意識が行っていて姿勢が不自然な気がします。この時は気が付いていないけれど、小さな命が宿ったところでした。

茶道を結婚しても続けたくて、新築の家の客間には炉を切ってもらったのですが、 生活するので精一杯。お稽古代が捻出できなくて諦めました。
この頃は、なんとなく将来はうまくいくような気になっていました。お稽古もずっと続けられると思っていたし、結婚式には森下先生も出席してくださった。
この時が最後の初釜のお稽古になるなんて思いもしていなかったのです。

それから30年後、書店で森下洋子さんの「日々是好日」に出会って、心の平安を求めて読みました。
読み終わって、本に出てくる武田先生の居住まいが、お稽古していた時の森下先生と被ってまた、お稽古を始めたくたりました。

まさに、成人した子どもたちには手もお金もかからなくなり、自分に時間とお金をかけられる時期が来ていました。
一区切りを迎えたとき、これまでの経験と学びを積み重ねてまたやりたくなる。茶道の精神世界には相変わらず惹かれてやまなかったのです。

お茶は心理学、五感と浄化、瞑想 につながる。
若いころに型をやっていたことの意味がその時はするすると入ってきそうに思ったのです。
お稽古を再開したくて、先生のお宅に訪ねました。でも時が立ちすぎて遅かったようです。森下先生は足を悪くされてお茶のお稽古は辞めておられました。
他の先生のところでとは考えられず、お茶は諦めて、お作法のお稽古にいくことにしました。

在勤中は、キャリアカウンセラーの資格取得、定年退職後は心理カウンセラーとしての学びと心理の世界にどっぷり浸かって、仕事のことで頭はいつもいっぱいでした。

そこから15年を経て、「日々是好日」 映画を見ました。清々しい映画でした。
四季折々の庭のたたずまい、茶花、お軸、お道具、お茶菓子。
樹木希林さんの渋めのお着物と見ていて飽きませんでした。
とても地味な素材を丁寧に描いたいい作品でした。

制作者の感性に流されるのもいいものです。
映画は、10歳の時に親に連れられて映画を観たところから始まります。
その時は何も受け取れずに、大人になって始めてその良さに気づくというメタファが埋め込まれていました。
まさに、心理を学び、心の深さを見詰めてきた今だからこその気付きがありました。
再び、お茶の精神世界に心を惹かれました。誠実に美を描いた映画でした。

以前読んだことを忘れ、書店で「日々是好日」を手にとっていました。
読み終えて、やっと以前に読んだ本だと気が付きました。
でも、まったく初めて読む本と同じでした。
50歳を過ぎて、あまりにも大揺れに揺れる毎日に心の平安を求めて読んだという記憶も蘇りました。
本自身は変わりようがない。初版のままだろうに、読み手の方は大きく変わりました。この10数年、季節に春夏秋冬があったように、私の人生にも季節がありました。
受け取りがあり過ぎて、本は付箋塗れになりました。ずっと目の前にあったのに、それまでは見えていませんでした。

やっと、ほしいものに出会えていることに気付かされ、手離せない一冊になりました。何度も読み返しました。読みたいペースで読み、自分のフレームで味わいました。
時を経て読み返し、咀嚼して、咀嚼して、どろどろになってやっとのみ込むことができて、初めて栄養になって血となり肉となったようです。

一人の午後をゆるゆるとお茶をいただく。 和菓子は手作りして。

目を覚ましなさい。人間はどんな日だって楽しむことができる。そして、人間はそのことに気付づく絶好のチャンスの連続の中で生きている。あなたが今、そのことに気付いたようにね。-----日日是好日より

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