【一日一問】私の中にある鋭さとは何か?
皆さん、こんにちは。Grounding Lifeのゆかです。緊急事態宣言解除のニュースが全国を駆け巡り、ここから一気に弛緩していくような空気を感じています。
国、というシステムをまとめる上でルールは欠かせません。人類がここまで文明を発展させることができた背景には常に『ルール』がありました。
今この瞬間、みなさんは誰かが決めたルールを信じていますか。
それとも自分の中にある直感を信じていますか?
内側にある『静けさ』に目を向ける
あくまで私個人の感覚ですが、比較的多くの知人でも起きていることなので言葉にすると、このところ『オンラインによる疲弊』が蔓延している感覚があります。
学び・ビジネス・家庭・コミュニティ。全てのシーンにおいてオンラインが活用されています。新しい繋がり方としてあっという間に世界に広がっていきました。
その現実をただただ感じながら、同時に『オンライン疲れ』をしている自分を感じるのです。
そこに評価判断はありません。疲弊、という事実があるだけ。
積極的に広げていこうと思えばどこまででも拡散していくインターネット。だからこそ、私は『自分の内側にある静けさ』に目が行きます。
どこか『シン』とした部分がある。そこからどんな声が聞こえてくるのか。
鋭い、とは何か?
ふと一人になった時『あ、このまま一人きりになりたいな』と思うことがあります。この感覚は小さい頃からずっとあります。友人や家族、親しい仲間。沢山の人に囲まれていたとしても、意図的に『孤独』になりたくなる感覚。人を避けるような感覚。これは、ある意味で自分を守る術の一つだったように思います。何を守っていたのかはわかりません。
そういう孤独を意図的に味わう時、私は自分の中に『鋭さ』を感じます。
同調したくない。
本質的な部分だけ見たい。
湧いている自分の感情を無視したくない。
キャッチしている誰かの感情、特に痛みを無視したくない。
そういう気持ちになります。動物で言うと、草食動物が急に厳しい目であたりを見ているような、そういう目つきです。
はるか遠くまですっと見通しているような。
鋭さを活かす
この鋭さを活かすとしたら何ができるか。最近のテーマです。
これまでなら『相手の立場』を考慮し、遠慮して言いよどんでいたことをあえて言ってみる。否定や批判だとしても、自分が間違っていると感じたら言葉に出す。言い放つ。
そういうことをもっとやってみると、何が起きるか実験中です。
もう一つトライするなら『敢えて何も言わない』というのもあります。鋭さと静けさが近い感覚なので、無理に言葉にしない、という事もインパクトになりそう、だと。そんなことを考え、試しています。
価値観に即す、というのはあり方だけではなく、行動も重要です。
それも最初からうまくやろうとせず、まずは試す。ここから始めています。
今日の問い
皆さんはどうですか?自分の中にある、何か。
見つめると見えてくるものがあるはず。私はそう信じています。
私の中にある鋭さとは何か?