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オナ禁三年を経て

先日、オナ禁三年を達成しました。

三年前に始めた時は「またいつもみたいに1週間ぐらいで失敗するだろうな」と思っていました。それが気づいたら三年です。

自分がオナ禁を始めたころは、複数年オナ禁をしている人のブログ記事などをみてモチベーションにしていました。しかし実際に自分が三年達成したとしても、もはや大きな感動はなく、三年目になっても繰り返しているエロ禁の失敗に意識が行き、自分もまだまだだなと考えるばかりです。

今回この記事を書くにあたり、この三年の経験をどのような形で共有することがこれを読んでくれている人のためになるのかを考えましたが、結局今までしてきた通り、今現在これを書いている時点で僕が感じていることを素直に正直に書くことが一番良いという結論に至りましたので、徒然なるままに書いていこうと思います。

どうかぜひお付き合いください。

する価値はある


オナ禁は、少なくとも僕にとって間違いなくする価値のあるものでした。これによって人生に多大な影響を与えられました。オナ禁は僕に「快楽の代償」というものを教えてくれました。

子供にゲームを与えると、何時間もずーっとやり続けます。それは快楽だからです。それと同じことがぽRUのを与えられた大人にも起こります。それがとてつもない快楽だからです。

大体の場合、人は苦痛を覆い隠すために爺行為に走ります。その苦痛は「退屈」だったり「人間関係のストレス」だったりします。しかし爺行為を取り上げられると、苦痛自体と向き合うことを余儀なくされます。

そしてその苦痛自体と向き合えることが、一番のオナ禁効果ではないだろうかと僕は思うのです。もちろん、向き合うのは楽しくもなんともありません。しかし、今までずっと快感によって覆い隠していた感情と対峙するのはとても新鮮な気持ちにさせてくれます。

動物的欲求の力強さ


僕は、オナ禁は三年達成しているとはいえ、エRO禁は最大でも一年足らずしか達成していません。ということは、この3年間で何回もぽRuのをみてしまっているということです。そしてそれは僕にとってとても悔やまれることです。

なぜ、一年近くもエRO禁に成功していたのに失敗したのか?それを自分に問い続けていました。そして最近その答えがわかりました。なぜなら人間の性欲というものは強烈だからです。たった一年抑えたぐらいでなくなるものではないのです。

当時の自分はエRo禁を数ヶ月続けることに成功して「もう自分は大丈夫だろう」と思っていました。しかし実際は自分の中に「ぽRUのをみたい」という欲求が存在しているのに気づいていながらも、それを押さえつけ、無視していました。

人間の心には「抵抗するものは継続する」という法則があります。僕はその欲求に抵抗し続けることで、その欲求にエネルギーを与え続けていました。

これが、僕がその失敗から学んだことです。

これからについて

さて、めでたくオナ禁四年目に突入した訳なのですが、御察の通りこのアカウントの更新頻度もかなり低くなっていて、僕もあまりやる気は無いです。

それよりも、今自分の目標としていることをどのようにして達成するのか。それにエネルギーを使いたいと思っているのです。

心の問題には依然として興味があります。オナ禁は心について知るきっかけを僕に与えてくれました。それについて何か面白い洞察があれば、ここで共有できればなと思っています。

では、今日はこのあたりで失礼します。

それではまた。

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