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オナ禁記 812日目

はじめに

チョコレートは甘くて美味しい。しかし大量に食べると肥満や糖尿病などの病気にかかるリスクがある。暖かい布団で寝るのは気持ちが良い。だけど寝すぎると逆に疲れる。

ポルノは非日常的な快楽を与えてくれる。あまりの快楽に時間さえあれば一日中それを消費してしまうほどだ。そして次の日、ポルノにつかった一日を振り返って「もっとマシな時間な使い方があったはずだ」と自己嫌悪に陥る。そんな生活を僕は何年も繰り返してきた。

Discipline as the Precursor to Freedom


ニーチェの言葉に"Discipline as the Precursor to Freedom"(自由の前の規律)という言葉がある。

小学生にもわかるような日本語にすると「夏休みの宿題を休暇の前半に終わらせれば、あとの時間は自分の好きなことをして良い」とでもなるのだろうか。(ちなみに僕は小学生の時、宿題は期限の前日の夜に終わらせるようなタイプだったので偉そうなことは言えない。笑)

学生の頃頑張って勉強した人たちは、社会人になったあとその他の人に比べて高い収入≒経済的自由を手に入れる。稀ではあるが幼少期からひたすらスポーツに打ち込んだ人がプロスポーツ選手として大成し莫大な収入を手にする。彼らの成功の裏にはその対象に規律を以て打ち込んだ日々がある。

女遊びにも規律は関係している。女性が好きな医者や有名企業のサラリーマンといったものは、勉強に限らず一定期間努力してきた人たちが手に入れる肩書きだ。そしてそれらは「イケメン」という先天性の恩恵に比べ、遥かに長持ちする錯覚資産である。

タスクと爺行為


ほとんど全ての学生が「勉強しなくてはならない」とわかっているのに勉強しない。そして僕もそんな学生だった。「自由と規律(=遊びと勉強)」という二択を迫られた時毎回自由を選択し、あとでそのツケを払ってきた。

模試の前に勉強しなくてはいけないのにゲームや爺行為に時間とエネルギーを使ってしまい、結局模試での結果もふるわず自分の自由(=行ける大学の数)を狭めるということは当時の僕も馬鹿げたことだとはわかっていた。

僕がもう学生では無いが、オナ禁している理由はまさにこの部分を改善したいからだ。幸い人生は学力だけで良し悪しが決定されるものではない。しかし自分が送りたい生活を送るのに規律が必要なのは同じだ。

セックスライフの充実させたい。彼女との精神的な繋がりを大切にしたい。仕事にもっと情熱を注ぎたい。僕が欲する自由を手に入れるためにはオナ禁という規律が不可欠だということに、ようやく気がついたのが800日前だった。

爺行為は数十分の快楽それ以外の何も提供しない。その数十分は快楽のためだけに時間を消費している。対して、勉強や仕事に使った数十分は数ヶ月、数年、数十年後に自分に報いてくれる。どちらに時間を使うべきかは明らかだ。

もちろん全ての人がオナ禁するべきだとは僕は思わない。しかし、これからポルノが技術的にも内容的にも発展していくにあたり、オナ禁のコミュニティも必然的に発展していくことを僕は確信している。

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