挑戦 失敗 恥
現在の記録
オナ禁:763日目
エロ禁:264日目
僕がオナ禁を続ける理由の一つに「オナ禁している時の方が自分のことを好きでいられる」というのがある。
他者がオナ禁をしているかしていないかについては僕にとってどうでも良いことだが、自分とオナ禁になるとやっている時とやっていない時で自己肯定感に大きな違いがある。
ゲームについても同じことが言える。僕は今ゲームを全くしないが、僕が高校生のころ、一時期学校に行かずに部屋に籠もって10時間以上もゲームしていた。
自慰行為とビデオゲームは長い間僕にとっての現実からの逃避先だった。勉強がしんどいから気分転換にゲームでもするかと思い、気づいたら夜中の1時になっている。大切な一日をそんな風に使い、自分に失望しつづけた。
目標を達成するためには、それを達成するまで、目の前にある壁にひたすらぶつかり続ける他はない。そんな基本的なことを僕は最近まで気づかなかった。
水泳を習得するには溺れるリスクを受け入れ、水中に自身を投げ入れなくてはならないように、出来ないことに挑戦することには多大な恐怖とストレスが伴うし、「できればやりたく無い」というのが僕たち生物の自己防衛本能の主張だ。
「泳げるようになるためには、恐怖を受け入れ飛び込むしかない。」この比喩は、生活のあらゆる事象に当てはめることができる。勉強、資格、仕事、恋愛、スポーツ、ほぼ全て、達成するためにはリスクを取る必要がある。
もしあなたに好きな人がいて、その人と付き合いたいのならば、行動を起こさなくては何も始まらない。例えば柔道を修めたいのならば、まずは道場に行き、そこで柔道を何年も続けている有段者によって床に打ち付けられることから始めなくてはならない。
自分が全く経験したことの無い未知の世界は、不確定要素で構成された暗闇だ。スイミング・スクールでまず最初に習うのは「水の中に顔をつける」という簡単なことだが、子供にとっては初めての空気の無い世界で、なかなかそれが出来ずに泣き出してしまう子供もいる。
僕はこの水中の比喩が好きで、何か新しいものを学ぶ際いつもこのことを考える。ここには2つの教訓があると思う。
1つ目は、「水の中に顔をつける」という大人からしたらすごく簡単なことも、初めての子供にはとんでもないことと思えるということ。新しいことに挑戦するとき、最初の壁はいつも圧倒的ということを理解すること。
2つ目は「泳ぐ」という目標を達成するためには「空気のない世界」というリスクの世界に文字通り身を投げ出さなくてはいけないということ。25メートルを泳げるようになるまで、溺れて、先生に助けられ、また溺れることを繰り返さなくてはならない。
大人になると失敗の恥に敏感になりがちで、失敗しないために挑戦もしなくなりがちだが、何かを達成するには常にリスクの世界に身を置かなくてはいけない。それを忘れないでいたい。
水中に顔をつけることが怖くて泣き出す子供をみて大人たちは可愛いと言って笑うが、別の分野ではその大人たちもプールサイドで足踏みをしている。
生身の女性ではなくポルノで性欲のを解消するのもその一つだと思っている。僕がポルノを見たく無いのはまさに上記の理由で、プールサイドで他の人が泳ぐのを見るのではなく、自分で泳いでみたいからである。
女性を視覚情報として捉えるのではなく、実際に触れて、心を通じ合わすことができるものとして接したいからだ。
そんな理由で僕は今日もオナ禁を続けている。